2023年10月3日火曜日

プラトン「メノン」を読む・2

 はじめに、メノンがソクラテスに問いかけます。「あなたは答えられますか、ソクラテス。 —— 人間の徳性というものは、はたしてひとに教えることのできるものでしょうか。それとも、それは教えられることはできずに、訓練によって身につけられるものでしょうか。それともまた、⋯⋯」((『プラトン全集・9』、藤沢令夫訳、岩波書店、 p248)と。そして、メノンとソクラテスとの対話が始まります。その過程でメノンが言います。
 これまで私は徳について、じつに何回となく、いろいろとたくさんのことを、数多くの人々に向かって話してきたものです。それも、自分ではとてもうまかったつもりでした。それがいまでは、そもそも徳とは何かということさえ、ぜんぜん言えない始末なのです。あなたがこの国を出て海を渡ったり、よそへ行ったりしようとしないのは、賢明な策だと私は思いますね。なぜなら、あなたがほかの国へ行って、よそ者としてこんなことをしてごらんなさい。きっと魔法使いだというので、ひっぱられることでしょう。(上同、p274)
 徳について、今までは分かったつもりいたのに、いつの間にか「徳とは何かということさえ、ぜんぜん言えない始末なのです」と告白するまでになってしまったのです。これこそ、ソクラテスがいうところの、有名な「無知の知」ということだったのです。少なくとも私はそう理解しました。そして考えたことは、自分では知っていると思っていることでも、本当にそれでいいのだろうか、と疑ってみることで、本当はわかっていなかったことに気づく、つまり、「無知の知」に気づくことって、結構あるのかも知れない、ということでした。
 こうして書いている過程で気づいたのですが、ひょっとしたら、「無知の知」って、否定の論理のことを言っているのかも知れません。つまり、わかっていた認識が一度否定され、より高度な認識に到達するからです。「否定の論理」のことを、調べてみる必要がありそうです。

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