北朝を討帝てと喚(わめ)く公家にとって、兵というものは十だとか、百だとか、あるいは千だとか、ただの数でしかない。名さえ知らぬ、顔さえ知らぬ者を、帝(みかど)の名のもとに戦場へ送って来た。
しかし、どの者にも一生があり、愛(いと)しき家族があり、誰もが泣き、また笑うのだ。些(いささ)か粗野なれども陽気で、猛々(たけだけ)しくとも優しい。そのような皆を、彼らが兵と呼ぶ皆を、公家たちに見せてやりたかった。(今村翔吾著、朝日新聞連載小説『人よ、花よ、』:415、2023年10月17日)
小説を読んだとき、北朝は中国や北朝鮮に、公家は国会議員、帝は国防に置き換えてしまったのです。それに、先の戦争時も、「兵というものは十だとか、百だとか、あるいは千だとか、ただの数」でしかなかったのです。「名さえ知らぬ、顔さえ知らぬ者」を、お国、あるいは天皇の名のもとに戦場へ送られて行ったのです。
まさに今現在も、ウクライナやガザ地区で戦闘が続いています。どこの兵士にも「一生があり、愛しき家族があり、誰もが泣き、また笑う」のです。だからこそ、戦争が悪の最たるものであることを、9条の思想の普及が求めれれていることを、世界の果てまで届いて欲しいものです。
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