2023年8月19日土曜日

楽しみは尽きない

 著書『定本見田宗介著作集・10』に「未読のたのしみ」とい小論があります。「あるいはあの未読の書物の主題が、書庫の中のみえないところから、今もわたしを触発しつづけているのかもしれない」(p148)というのです。確かに、本棚に並べられた本のタイトルたちは、「読んでくれ! 読んでくれ!」と読まれるのを待っているのかもしれません。
 私が「未読のたのしみ」というものを実感しているのが連載ものです。新聞の連載小説が良い例です。毎日、次なる展開が楽しみなのは、まさに「未読のたのしみ」です。連載論文でも、興味のある論文は毎回楽しみなものです。
 この考えを、残りの人生に応用できるのではないか、と何となくイメージしているのですが、まだ、その姿がわかりません。ただはっきりしていることは、身の回りのことにせよ、これまで考えてきたいろんな課題が山積みしています。それらから無言の圧力を受けている状態です。
 つまり、未読の本がありすぎる状態なのかもしれません。どうやら、だいぶはっきりしてきました。この状態を、何とか楽しみにできないか、というのが、漠然としたイメージの正体のようです。
 次のステップです。
 未読の対象がはっきりしているもの、と、はっきりしていないものに分れることがわかってきました。やるべきことも、はっきりしてきました。未読の対象がはっきりしているものは、読んでいき、並行して、未読の対象を発揮しさせていくことです。そして、これらの課題に完璧というものはないのだから、楽しみは尽きない、ということです。そういう意味でも、次の聖アウグスティヌスの言葉には味わい深いものがあります。

「これでもう充分、完璧の地位に辿り着いたのだ」ときみが言ったとすると、何もかもが失われてしまう。 自分が完璧ならざるものであること知らせてくれるのか完璧というものの役目にほかならぬのだから。◎聖アウグスティヌス(『永遠の哲学 : 究極のリアリティ 』、オルダス・ハクスレー著、中村保男訳、平河出版社、1988年、p487)

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