昔から、しかも世界で「人身御供」という風習がありました。野蛮な風習で、あってはならないことです。その点は、現代社会では多くの人に納得してもらえることです。しかし、その野蛮な風習が、姿を変えて現代社会に蔓延っていると感じていました。軍事基地被害が典型です。例えば騒音被害があっても、多少の補償で済ませているのが現状です。私は、そうした人たちは、「人身御供」に供されているに等しいのであって、あってはならないこと、と考えていました。
とうとう同じ考えをしている人を『暮しの手帖』(2022年10-11月)の中に見つけることができました。作家の榎本空さんが、著書『それで君の声はどこにあるんだ?―黒人神学から学んだこと』の中で、「諦めたくなることも多いが、きっと誰かの生存と幸せが他の誰かの犠牲を前提としない、もうひとつの現実が可能なはずだ」と書いてあることを、武田砂鉄さんが紹介していたのです。「誰かの生存と幸せが他の誰かの犠牲を前提としない、もうひとつの現実が可能」とは、なんと素敵な言葉でしょう。
榎本空さんの言葉も素晴らしかったように、榎本空さんの言葉を紹介した次の武田砂鉄さん紹介文も素晴らしいかったです。
黒人神学者ジェイムズ・H・コーンに学ぶため、マンハッタンの神学校に通った著者が、このように希望を言葉にした。「冷笑と無関心を規範として粛々と回転していく歪な社会」を前に、不順応であろうと誓う。キング牧師は「世界の救済は、不順応にかかっている」と言った。未来は大きな集団によって規定されるのではなく、孤独の中にも宿るもの。「誰かの犠牲」によって勝ち組が生まれるような社会をひっくり返すために、とにかく自分で考える。(『暮しの手帖』、2022年10-11月、p129)
0 件のコメント:
コメントを投稿