2023年8月12日土曜日

日本独特の自然哲学

 私にとってゴッホは、三年間でこれだけのことができるんだと、勇気を与えてくれる存在です。ゴッホの「わずか10年の画業のうち、彼がまさに近代的な絵画を生み出したのは最後の3年間だけ」(図録『ゴッホ展響きあう魂へレーネとフィンセント』、2021年9月、p12)だというのです。後期高齢者になって、残りの人生を意識するようになってきただけに、ゴッホのように密度の濃い人生に魅力を感じます。
 もう一つ、ゴッホの魅力を挙げれば、ゴッホが日本に憧れていたことです。ゴッホにとっての日本とは、どのような存在だったのでしょうか。これまでの印象では、日本独特の自然哲学に基づいた日本美術に魅せられたのではないか、そう思っています。そのことは、次のようなゴッホの手紙から読み取れます。「その人はただ一本の草の芽を研究している」ということは、その辺にある「一本の草の芽」さえ、一つの絵の対象として最大限の尊重を抱いていることになるのではないでしょうか。そして、そこに日本美術の素晴らしさを発見したのではないか、そう考えています。ここに、
日本独特の自然哲学があると思っています。

 1888年9月23日か24日、フィンセントはアルルから、テオに宛ててこう書いている。「日本美術を研究すると、あきらかに賢く、哲学的で知的な人物に出会う。その人は何をして過ごしているのだろうか?地球から月までの距離を研究しているのだろうか?いや違う。ビスマルクの政策を研究しているのか?それも違う。その人はただ一本の草の芽を研究しているのだ」(書簡686/542)。ファン・ゴッホが収集していた浮世絵版画に見られるように、質素なものに本質を見出す日本の芸術家の眼識は、彼にとって魅力的に映った数多くの要素のうちの一つだった。ファン・ゴッホ自身は、つつましいモティーフの中に注目に値するものを見つけ、詩的な性質を添えて描き出すという偉大な才能をもっていた。(上同、p128)

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