しかも、晩年には、聖徳太子などを称賛する和歌をたくさん残していたのだ。
『親鸞和讃集』(岩波文庫)の解説によると、親鸞は八十三歳のときに「皇太子聖徳奉讃」七十五首、八十五歳のときに「大日本国粟散(ぞくさん)王聖徳太子奉讃」百十四首、八十六歳前後のときに「皇太子聖徳奉讃」十一首というように、八十代にはいってからたくさんの聖徳太子を讃える和讃を書いた。その最晩年の「皇太子聖徳奉讃」十一首のなかには次のようなものがある。カッコ内は名畑應順氏による注釈である。(上同、p232)
救世観習大菩薩 聖徳皇と示現して
多々のごとくすてずして 阿摩のごとくにそひたまふ
(救世の観世音菩薩が日本に聖徳太子として現われて、総父の如く哀れんで捨ておかず、悲母の如くつき添って護り給う)
和国の教主聖徳皇 広大恩徳謝しがたし
一心に帰命したてまつり 奉讃不退ならしめよ
(日本の教主である聖徳太子の広大な恩徳は謝し尽し難い。二心なく太子のみ言葉に順い奉り、本師の弥陀に帰命して念仏し、いよいよ怠りなく讃嘆し奉らしめよ) (上同、p233)
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