2023年7月16日日曜日

戦前の暗い空気

 戦前の暗い時代の空気というものは、体験しないものにとってはわかりずらいものである。しかし、誰も彼も、皇居前を通るときにはお辞儀をしなければならないとしたら、しかも、無言の圧力で半ば強制されるようなら、それは、明らかに”思想信条の自由”を侵害することになる。つまり、そういう社会には自由がないと言って良い。
 バスや電車の乗客まで、しかも、靖国神社の前まで、お辞儀をした時期があったことを初めて知った。このような歴史的な事実があったことは、決して忘れてはならない。そして、市民の自由を守り続けていく必要がある。
 今でも思い起こす親友の何人かのお宅には、しばしば遊びに行った。その楽しい日々の中に、すでに暗いかげがさしはじめていた。ひとつは明治神宮表参道をわたる時(当時はほとんど走る車も少く子どもがかけてわたることはなんら問題はなかった)、ある時から、明治神宮の方に向いて、ピョコンと学帽をぬいでお辞儀をすることが(たぶん学校の先生から)命ぜられた。
 もう一つは、時期的にはもう少しあとのことだったが、青山通りを走っていた市電も窮屈になりはじめた。「窮屈」といっても混みはじめたという意味ではない。当時、青山通りには、渋谷駅前から三本の市電ルートが走っており、そのうち一本は三宅坂を下って銀座築地方面行き、もう一本はおなじく三宅坂を下ってお堀ばたで左に折れ神田須田町に行く路線の電車であった。
 このうち前者の路線は皇居前を通るが、その時車掌は、大体警視庁前あたりのところで、
「ただいま宮城前通過でございます」
 と叫ぶ。すると乗客は座っていた者も立ち上がって皇居に向ってお辞儀をする。
須田町行は九段で靖国神社の前を通る。その時やはり車掌は、
「ただいま、靖国神社前通過でございます」
 と叫ぶ。乗客の反応も同じである。
 この車掌の呼びかけを無視することは当時の空気では非常に苦しい。これをさりげなく無視する唯一の方法は、はじめから立っていて、宮城(又は靖国神社)の方向の窓に向いて立っていることである。こうしていると、いつお辞儀をしたか、しなかったか、他人にはまずわからない。しかしいずれにしても、お辞儀をしたくない者には、ほとんど唯一のゴマ化しかたであった。(弓削達著「機銃掃射のなかのゼミ」『学問はおもしろい』、選書メチエ編集部編、講談社、2001年、p46〜47)

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