2023年7月17日月曜日

避けて通れない哲学的な思索

 哲学とは何か、その答えは簡単ではない。哲学者の数ほど、その答えがあるような気がするからだ。しかし、哲学者の数ほどある哲学のそれぞれを各論と考えれば、各論としての哲学に共通する哲学総論というようなものがあって良いし、あるべきだ。というのも、哲学総論の範疇に相当する説明を読んだばかりである。だから、生意気にも「哲学総論というようなものがあるべきだ」などと言えたのである。
 例えば次の引用のように、どんな哲学者も、彼らなりの現実の問題に「深刻にぶつかり、これを克服するために」「核心的な思考方法」を創造していたのである。カントの哲学を学ぶということは、彼が現実問題といかに格闘したか、その思考法を学ぶことだったのだ。

 現象学の発想が自分の中に入って来てから、不思議なことに、ヘーゲルやカントやハイデガーや、その他何度読んでも難解で理解できなかった他の哲学が、驚くほどするすると理解できるようになってきたのだが、それは、哲学者がどういう問題にもっとも深刻にぶつかり、これを克服するためにどういう核心的な思考方法を取ったかが、明確に読みとれるようになったからである。(竹田青嗣著「現象学との出会い・哲学の方法」『学問はおもしろい』、選書メチエ編集部編、講談社、2001年、p30)

 また、次のヘーゲル理論に関する記述は、今関心を抱いている「二項対立を乗り越える」という発想を考える(理解する)上で、ヘーゲルは避けて通れない問題を孕んでいることを暗示している。そして同時に、戦争を含めた現実問題を考えていく上で、哲学的な思索が欠かせないことも思い知らされた。今後の課題が一つ増えた。

 ヘーゲルは(一般的通念とはまったく逆に)、認識(=思考)の本質は、多様な観点あるいは異質な論点の衝突から生じる「論理矛盾」によって、この観点異質性を乗り超える新しい「普遍性」の論点の発見へと概念が展開されるプロセスにある、という「原理」を見出した。(上同、p32)

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