それでは、国家の本質は、どのようなものなのだろうか。本質として暴走するものなのであろうか。これまでの国会の動きを見ると、国会軽視も甚だしいところがあって、明らかな暴走傾向が見られる。もし、この傾向が国家の本質によるものならば、国民は、国家に対峙する存在として、暴走に歯止めをかけていく必要がある。その時、憲法を盾にすれば良い。あるいはほこにもなるかもしれない。
いずれにせよ、憲法は、単なる文書の一つであって、それを運用する担い手の存在無くしては、その力を発揮し得ないのだ。それ故、国民主権の原則があるのであって、この原則は、自ら行使することによって、初めてその存在が、その力が明らかになっていく。主権者としての自覚も高まていく。
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