2022年9月18日日曜日

世界を蘇らせる詩論

 哲学の概念に「矛盾」という概念がある。文学には無縁と思っていたが、文学の世界にも通用する概念のようで、「詩は一見無縁なもの同士を結び付けることで世界を蘇(よみがえ)らせる」という次のような詩論を読んだ。
「世界をそのいちばん奥深いところで束ねているものは何か(柴田翔訳)」という彼の問いは、今日ますます切実さを増しつつある。科学や技術があまりにも細分化された揚句(あげく)、私たちの世界観は暗黒の中世に逆戻りしたかのようだ。
 その問いの答を求めて、ファウストは悪魔メフィストに魂を売り渡したが、ゲーテ自身は、ばらばらになった部分を全体へと統合するものこそ、詩の力だと信じていたに違いない。俳句の二物衝突やシュルレアリスムの詩法に見られるように、詩は一見無縁なもの同士を結び付けることで世界を蘇(よみがえ)らせる。(「四元康祐『詩探しの旅』 21世紀のファウスト」、日本経済新聞、2022年9月11日)
 こうした詩論を前提に、次の詩を読んでみよう。
「洋服屋のおじいさん」も、「バン屋の奥さん」「佐東町温井の一九三人の遺族たち」、そして、「『天皇陸下バンザイ』と叫び/沈んでいった十三歳の大門賢治くん」も、臣民だった。この人たちの悲劇というか悲しみの深さというものは、臣民の対極にあった「その天皇」の存在を描くことによって、一層リアルに蘇ってくる。四元康祐さんの詩論は、そう教えてくれた。
洋服屋のおじいさん
市の命令で十三歳から六十歳までは

広島から出られなかった
それなのに原爆供養塔にお骨があることがわかって
昨年遺族が九州からお骨をとりにきた時
市は弔慰金も交通費もビタ一文出さなかった
出せといってもカネがないといった
おじいさんの眼に涙があふれてくる
黒い雨に打たれて白内障になった
己斐のバン屋の奥さんの眼に涙があふれてくる

広島から北八キロ
朝五時に出かけて二度と帰ってこなかった
佐東町温井の一九三人の遺族たちの心に
つぎからつぎから涙があふれてくる

本川をながれていきながら
「天皇陸下バンザイ」と叫び
沈んでいった十三歳の大門賢治くん
その天皇はおととしアメリカへ出かけ
にこにことディズニーランドで笑っていた
帰ってきた記者会見で
「広島に落ちた原子爆弾はなにぶん戦争中のことなので
やむを得ないと私は思います」(『ヒロシマ連祷』、石川逸子著、土曜美術社、1982年、p20〜21)

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