2022年9月21日水曜日

「日本は民主主義国家」と言えるの?

 これまで、戦後民主主義という言葉で、多様な民主主義の形態を”一緒くた”にして批判してしまうことや、アメリカや日本を民主主義国と言い表してしまうことに違和感を抱いてきた。しかし、明確な言葉にすることができずにいた。そんなとき、「僕は宗教という形態には反対です。カントも反対していた。彼は道徳を宗教の上においたわけです。僕は倫理という言葉を考えてきたけど、カントはそれを道徳と呼んでいます」(『柄谷行人発言集 対話篇』、柄谷行人著、読書人、2020年、p412)という言葉に出会った。
 ここで言われている「宗教」や「カント」批判の構造が、「戦後民主主義」や「民主主義」という言葉の用い方の構造と同じことに気づいたのだ。柄谷さんの「宗教」や「カント」批判の構造には、仏像文化に、あるいは、カントの『永遠平和について』に見られるような優れた面も否定してしまっているところがある、と。
 同じように、確かに「戦後民主主義」は、だいぶ劣化してきているのは事実であろう。その実例を見事に言い表している想田和弘さんの文章がある。

 異例の値引き契約で結ばれた森友学園への国有地売却問題、安倍晋三・元首相の友人が理事長を務める加計学園に獣医学部新設が認められた問題。公文書の破棄や改ざんが発覚し、国会では虚偽答弁が繰り返されました。
 17年、野党は臨時国会の開会を要求しましたが、政府与党は憲法に反して拒み続けました。3カ月間も引き延ばしたあげく、ようやく開会した臨時国会を冒頭で解散しました。なのに与党に大勝させてしまったのが前回の総選挙でした。
 昨年9月、菅義偉政権が日本学術会議が推薦した会員候補の一部を任命拒否した問題も同様です。民主制の土台となる憲法を為政者が守らない。法的に非常に疑義のあることを強行してしまう。政治家も最初は恐る恐るルール違反をしていたかもしれません。でも、主権者が容認し黙認してきたことで、だんだんと平気になってきた。
 突然、こんな無法な政治になったわけではなく、政治家によるルール違反を主権者が不問にしてきた結果だと思うんです。(「映画作家・想田さん『民主制の基本に立ち返るとき』」、朝日新聞、2021年10月18日)

 このように、戦後、民主主義は踏みにじられてきた。だからと言って、日本国憲法は健在だし、民主主義が否定されてしまったわけではない。また、これだけ民主主義が踏みにじられてきている日本を民主主義国と言えるのか、と思うのだ。どうも、言葉が正しく使われていないのではないだろうか。

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