心を豊かに暮らす習慣として、「愚痴や人の悪口は、百害あって一利なし」(p 92)という項目もあった。「ネガティブな言葉」は、基本的に気分を滅入らせるだけだから、まわりも自分も心地よくなれる表現を常に意識したい、というのだ。しかし、こればかりは自分が注意していても、「愚痴や人の悪口」を聞かされる身には、どうしようもない。どうすればいいのだろうか。
ここで、インターネットのお世話になった。「お坊さんQ&A(愚痴や他人の悪口を聞き続けるのがつらい。ストレスにならない方法はありますか?)」に、あっと驚く回答を見出すことができたのである。このサイトで、「愚痴とは、もともとは仏教用語の1つであること」、「仏教には、『三毒』という言葉があり、貪欲(どんよく)、瞋恚(しんい)、愚痴の3つをよくないもの」としていることを知った。
このうち「瞋恚」は、『大乗阿毘達磨集論』では、「それは苦、衆生、苦を備えた心への怒りを本質とし、安穏ならざる〔状態〕に住し、悪しき行い〔を為すこと〕の依り所たることを作用とする」。
また、「唯識大意では、 我(自分)に背くことがあれば必ず怒るような心、『自分がないがしろにされた』という思いと解釈している」とあった。
それで「あっと驚く回答対策」だが、それは、「愚痴を聞くのは修行の1つ」なのだから、「相手を観察しながら、愚痴を聞いてあげてください」ということである。このことを知っただけで、心がだいぶ楽になった。
愚痴の意味を知る!そして聞く行為は、施しの心(布施)の修行です。加えて、愚痴は、「もっとわたしのことを心配してほしい」というアピールであり、怒りの背景には、「自分がないがしろにされた」という思いが見え隠れしているらしいということを知ったことの意義も大きい。
どうかこれからは、心していっぱい愚痴を聞いてみては。そうそう聞いてくれる人はいませんけれど、どれもまた意味がある功徳なのです。(金粟院 山口秀徹)布施とは、金銭や品物を与えるだけではありません。施しの心、つまり親切な心でも人を救うことはできます。さらに、善いことをすれば、善い結果が返ってくる、そう信じて功徳を積むことで、自分自身の未来や来世にもよい結果がもたらせるのかもしれませんね。
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