訳文といえ(とっても読みやすくて分かりやすい)、書かれている内容といえ、感動的な本に出会った。『民主主義と教育』(J.デュ-イ著、金丸弘幸訳、玉川大学出版部、1984年)である。その素晴らしさは「生(life)とは環境へ働きかけることによって自己を更新していく過程である」という言葉でも言い尽くされているが、「伝達による生(life)の更新」という項目の初めの部分を紹介する。この部分を読むと、「生(life)とは環境へ働きかけることによって自己を更新していく過程である」という言葉の素晴らしさを理解してもらえるに違いない。
J.デュ-イは、民主主義について、どのような考えを抱いているのか、とても興味がある。きっと素晴らしいものではないか、と期待している。
伝達による生(life)の更新
生物と無生物が最も著しく違う点は、生物が更新によって自己を維持していくということである。石をたたいても抵抗はある。もし石に加えられた打撃の強さよりも石の抵抗力のほうが大きければ石は外面的にはそのまま変わらない。もしそうでなければ、石は砕けてこなごなになる。石はけっして打撃に逆らって身を保つような仕方で反応することはない。まして、その打撃を自己の行動を継続するための要因として役だてようとして反応することはなおさらない。ところが一方、生物は自分より優れた力によって容易に圧しつぶされるかもしれないのに、それでも、生物は自分のうえに働きかけてくる諸エネルギーをこれから自分が生存していくための手段に変えようとするのである。もしそれができなければ、生物は(少なくとも高等な生物の場合には)ただたんに細片に分解するだけではなく、生物そのものとしてのその存在を失うことになる。
生物は命ある限り、自己自身のために周囲のエネルギーを何とか利用しようと努力する。生物は、光や空気や水分や土地の資源を利用する。生物がそうしたものを利用するのは、生物がそれらを自己保存の手段に変えるということである。生物が成長を続けているかぎり、こうして生物が環境利用に消耗するエネルギーは、環境利用によって獲得する利益によって十分に償われる。すなわち、生物は成長するのである。もし「制御する」という語をこうした意味に解釈すれば、生物とは、自分が征服しなければ、逆に自分を殺すことにもなりかねないようなエネルギーを、自己自身の活動を持続するために征服し、制御していくものである、と言うことができるであろう。生(life)とは環境へ働きかけることによって自己を更新していく過程である。(『民主主義と教育』、J.デュ-イ著、金丸弘幸訳、玉川大学出版部、1984年、p 31〜32)
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