実は、木村健康氏の民主主義の解説が素晴らしかったので、彼の著書を探して、この本も読んでみようと思ったのだ。ここでいうところの「真の利己心は、すべての人の調和を求めるような利己心である」を読んで、これは、板倉聖宣著『発想法かるた』にある「衣食足りて他人の笑顔」のことではないか、と思った。ここには利己心の衝突がないからである。
経済的自由および政治的自由の獲得の問題が、このようにして、時代の問題となったのであるが、このような運動の思想的根拠は何であったか。アダム・スミスの「自然的自由の体制」も、その一つであったが、それよりも有力に働いたのは、ジュレミ・ベンサム(Jeremy Bentham 1748―1832)の功利主義の哲学であった。ペンサムの思想は、きわめて論理的で、たとえば自然法の思想のように、自然状態というような一種の神話を背景としたものではなかった。
ベンサムによれば、人間の行動はすべて利己心の発動であり、快楽を求め苦痛をさけようとするのが、人間の行為の動機である。しかし、すべての人間が利己心で動くならば、各人の利己心が衝突して、社会の成立を妨げるのではないか。ベンサムはこれに対して、互いに衝突するような利己心は、真の利己心とは考えない。真の利己心は、すべての人の調和を求めるような利己心である。もし利己心が互いに衝突すれば、それは結局各人の利益を害することとなり、到達されるべき利益は失われてしまうからである。
ペンサムの考えによれば、人間は必ずしも真の利己心にもとづいて行動せず、社会の調和を破る目先の利己心によって動かされることが少なくない。そのような利己心の衝突を防ぐためには、 国家や法律の働きが必要である。元来、人間は自己の利益が何であるかを、自分自らが最もよく知っているのであり、従って各人の行動を自由に働かせることが最善の策であるが、各人が自己 の真の利益を忘れ、目先の利益に動かされることが少なくないために、社会の調和をはかる必要上、国家や法律が欠くべからざるものとなる。国家や法律はそれ自体は自由を侵害するものであるから、悪である。しかし国家や法律によって、誤った利己心によって行動する個人を抑圧するのでなければ、社会の調和は得られない。したがって国家や法律は、悪ではあるが、やむを得ない悪であるといわねばならない。これがあることによって、最大多数の最大幸福が達成されるのである。(p276〜277)
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