2021年6月15日火曜日

過去に目を閉ざす者は

 最近の中国への対応などをみていると、日本の戦争責任など、どこかへ吹き飛んでしまったかのようである。何よりも、象徴天皇制の安泰ぶりが、その証拠であろう。しかし、天皇の名の下に推し進めてきた侵略戦争は、決して消し去ることなどできない事実である。この事実を真摯に受け止めることなくしては、一歩も前に進めない。逆に言えば、日本が前に前進するための初めの一歩が天皇の名の下に推し進めてきた侵略戦争への反省でなければならない。
 ドイツのワイツゼッカー大統領過去が述べた「過去に目を閉ざす者は結局のところ現在にも盲目となります。非人間的な行為を心に刻もうとしない者は、またそうした危険に陥りやすいのです」は、あまりにも有名だが、日本は、いまだに過去に目を閉ざしている。だからこそ、米国と一緒になって、中国を敵視してまで、軍備拡大を推し進めてきている。
 忘れていた資料の中に、象徴天皇制を批判した、驚くようなことが書かれていた。

 日本の現状は、戦争被害国の国民からしてみれば、ヒトラーの子供が権力はなくなったとはいえ、国民の象徴とかいう地位に留まり、国民の尊敬を受けているのと同じような印象であろう。これでは彼らが、日本は戦争についてなんら反省していないと思うのは当然のことである。(『日本の戦争責任・下』、若槻泰雄著、原書房、1995年)

 なんとわかりやすい例え話だろう。

 日本人は自分のしたことも、されたこともすぐ忘れてしまう健忘症の国民である。たとえば、日ソ中立条約を公然と侵犯し、国際法に違反して日本兵捕虜六O万に戦後数年間、長きは一一年にわたり奴隷労働を強要し、さらには満州、北朝鮮などで百数十万の一般在留民を殺害、暴行、略奪、餓死、婦女暴行の地獄におとしいれ、その二十数万人を死にいたらしめた国を、日本の進歩的文化人なるものは「人道と平和の砦」などと何十年間にわたり賛美しつづけたわけだが、それを黙って聞いていたほど、日本人というのは人のよい、あるいはまのぬけた国民なのである。(上同)

 こうした意見は、最もな話だ。革新陣営には、耳が痛い話だろうが、真摯に受け止める必要があろう。

 だが、よその国民も日本人のように忘れっぽいと考えてはならない。イスラエルをめぐる問題では七〇〇年から九〇〇年も昔の十字軍のうらみが登場するし、ユダヤ教徒とローマ法王庁が正式に和解したのはじつに、キリストが殺されてから二〇〇〇年近くたった昨年のことなのである。日本が天皇制をそのまま維持していたなら、被害各国のうらみは今後すくなくとも数百年は続くであろう。場合によっては、発展途上国がもはや日本の援助を必要としなくなったら、すなわち、日本の機嫌を取る理由がなくなれば、それは余計ひどくなるかもしれない。

 知らなかった。”戦争責任” は、忘れてはならない必須の課題であることに変わりはない。

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