2021年6月18日金曜日

ある学術会議攻撃の不思議

 この著者は”いいこと”を言うな、と思うと、その著者の他の本なり論文を読んでみることにしている。大概は、他の著書でも”いいこと”を言っている場合が多い。しかし、「保健所を半減した日本」で取り上げた大石久和さんについては、読みが外れた。天皇は賛美するし、学術会議の攻撃までしていた。しかも、まるで論理がなっていないのだ。
 例えば『「国土学」が解き明かす日本の再興 紛争死史観と災害死史観の視点から』(大石久和著、海竜社、2021年)では、学術会議は、「先の大戦の敗戦時の価値観をそのまま引きずっている」と書いていながら、その価値の説明はない。さらには、学術会議所属の憲法学者は、改憲を阻止する態度を取り続け、「怠慢を決め込んでいる」とまで言い切っている。
 学術会議はその典型なのだが、文系の中でも法律系の学者たちは、あの国土が焦土と化した先の大戦の敗戦時の価値観をそのまま引きずっている感がある。
 その典型が憲法をめぐる議論である。制定時からこれだけの時間が経ち、国民の価値観も大きく変化してきたというのに、憲法学の学者たちはほとんど指一本触れさせないとの態度をとり続け、つまりは怠慢を決め込んでいる。
 極め付けは、『「危機感のない日本」の危機』(大石久和著、海竜社、2017年)であろう。「深まらない安全保障と憲法」という章を設け、「現在の『平和憲法』を守れと叫ぶことは日米同盟に依存せよとする主張でもある」というのだ。どうしても、このような議論の展開ができるのか、理解に苦しむ。

 現在の憲法を「平和憲法」と規定し、これを守れと叫ぶことは、結局、日本の安全保障について、日米安全保障条約、つまり日米同盟に依存せよとする主張でもある。そのことは、最近のトランプ大統領による対日強硬姿勢のそぶりであわてたように、日本政府に、「アメリカの顔色をみて判断せよ、アメリカの反応をみて行動せよ、アメリカを怒らせるな」と言っていることに等しいと言わなければならない。(p87)

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