2021年6月25日金曜日

われわれが亡びたくなければ

 今まで、ヨーロッパにおける植民地政策の負の側面ばかり見ていたが、未開発国に対する文明開花という側面の実態を知って驚いた。いわゆる宗主国には、植民地政策を通して文明開花をしてやるという名目があったことは知っていた。しかし、それは、名ばかりであろう、と深く考えもしないで、過酷な搾取といった負の側面にばかり目がいっていたのである。(「古い時代の、単純な領土拡張の意欲や多民族征服の願望による侵略は別として、近代における植民地支配」に限る)
 インドの詩人タゴールやアルジェリアの独立運動家フェルハト・アバスの言葉が、未開発国に対する文明開花の実態を証明していた。

 インドの生んだ世界的な詩人タゴールは、その八〇歳の誕生日(一九四一年五月)に寄せたメッセージの中で、次のように”憎むべきインドの侵略者 —— イギリスへの思い”を綴っている。(『韓国・朝鮮と日本人 韓国・朝鮮人の嫌いな日本人 日本人の嫌いな韓国・朝鮮人』、若槻泰雄著、原書房、1989年、p303)
 ………われわれは(インド伝来の)固定した掟に代わるものとして、英語で表現されているがままの「文明」という理想を受け入れたのである。われわれ自身の家庭においても、この精神上の変化は、その全く合理的な、かつ道徳的な力の故に進んで受け入れられ、その影響はわれわれの生活のあらゆる分野において感じられた………私は自然とイギリス的なるものを心の王座に据えていた。
 ………当時、イギリスは、迫害されて祖国から亡命しなければならなかったあらゆる人々に隠れ場を提供していた。祖国の人民の名誉のために苦しんできた政治的殉教者たちが、イギリス人からは隔意のない歓迎をうけていた。イギリス人にみるこの自由な人間性の確証に私は感動した。そしてそのゆえに彼らを、私は最高の敬意に値するものと考えるようになった………。
 ちょうどこの頃、一少年としてイギリスにいた私は、あるいは議会の内であるいは院外で、かのジョン・ブライトの演説に耳をかたむける機会をもった。それらの演説の、一切の狭隘な民族的限界をのりこえた、闊達な、しかも徹底した自由主義は深く私の肺腑をつらぬいて、今日このおはなしにならぬ幻滅の日々においてさえ、いまだに忘れがたいほどの感銘を残している。[辻直四郎等訳、J・ネルー「インドの発見』](同上、p304) 
 タゴールの、このイギリスヘの賛美は、改めて世界史上、人類の発展史上においてイギリスが果たした偉大な役割を思い出さずにはおかない。そしてこのタゴールの言葉を、イギリスの官憲に捕われたネルーが獄中の手記で引用していることに、われわれも深い感銘を受けずにはおられない。イギリスはその暴政とともに、インドに近代精神をもちこんだ。それゆえにこそインド人は、血にあえぎながらもこれを評価するのである。これに対し日本は朝鮮に、人類が克服しなければならない前近代的な非合理な精神を強制しようとしたのである。
 朝鮮の公立学校においては一九三八年から、これまでわずかながら教えられていた朝鮮語の授業がなくなり、日本語の強制が一段ときびしくなった。教師はその理由を次のように説明したという。
 天皇陛下は日本語でお話しになる。われわれは天皇陛下のお言葉がわからないと、大御心どおりの生活ができない。だから朝鮮人は一日も早く日本語がわかるようにしなければいけない。
 タゴールが、パークの演説を誦し、マコーレーの文章を読み、シェイクスピア、バイロンを理解するために、そして何よりも、「英語で表現されている『文明』を学びとるために」、みずから進んで英語の世界に没入したのと比較すると、日本支配下の朝鮮で、日本語を強制された朝鮮人は何と惨めなことであろうか。(同上、p305)

 フランスの支配下にあったアルジェリアでも、フランスの文明が、イギリスと同じような影響をアルジェリアに与えていた。

 フランス官憲によるコソスタソチーヌの虐殺事件に際し捕えられていた独立運動家フェルハト・アバスは、一年近い監禁の後、釈放されて間もなく、アルジェリアのフランス人およびアラブ人青年に向かって次のような寛容かつヒューマニズムの香気たかい訴えを行なった。
 同化でもない、新しい主人を迎えるのでもない。分離主義でもない、自由な大国(フランスのこと)と連合して、民主的、社会的教育を受け、産業、技術の設備をととのえ、知的、道徳的更正の道を進んでゆく若い国民。、生まれたばかりの若い民主主義。これがわれわれアルジェリア刷新運動の理想像であり、表現である………
 宇宙は絶望を知らない。それは挫折した事実を何度でもくりかえしてゆく。どんな失敗も、夢に満ちたその若さ、機敏さを失わせない。私はルナン(フランス人)のこの言葉をわが国のアラブ人とフランス人の青年に捧げる………
 われわれに必要なものは社会的義務と人間的使命感につらぬかれた市民である………われわれが亡びたくなければ、学び、理解し、近代社会の考え方に即応することが必要である。(淡徳三郎『アルジェリア革命』)
 これが一三〇年間に及ぶフランス植民地体制の圧政に苦しみ、つい一年足らず前、四万人が虐殺されたばかりの独立の闘士の発言かと、その目を疑うばかりである。ことに注目すべきはフェルハト・アバスの次の言葉であろう。
 「………自由な大国と連合して、民主的、社会的教育を受け、………偉大なフラソス民主主義にみちびかれる………」
 ここに見られるものは、投獄され虐殺されたものでさえ、なおその尊敬と憧憬を失なうことのできないフランス文化の存在であり、その担い手の良識あるフランス人とその体制への被害者たちの信頼である。アルジェリア人のこの寛容かつ建設的な態度と比べ、朝鮮人の執拗な反感を批判することはやさしい。しかしながら、朝鮮の人々がその圧紋下にもかかわらず、尊敬と憧憬と、そして虐殺の中にも失なうことのない信頼に値する日本の文化や体制、そして人間がいたのか、あるいはいるのであろうか、ということが反問されねばなるまい。(同上、p306〜307)

 タゴールや フェルハトの宗主国に対する態度を知って、われわれも、日本国憲法を押し付けられたのではなく、日本国憲法を通して、たとえばアメリカの<「文明」という理想を受け入れた>のであり、<偉大なフランスないしアメリカ民主主義に導かれた>のだ、と思いを新たにすることができた。そして、「われわれが亡びたくなければ、学び、理解し、日本国憲法に具現されている近代社会の考え方」を身につけていかなければならない。そう思った。




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