2021年6月17日木曜日

原子論的な歴史の見方考え方

 次男の名前に、板倉聖宣さんの「宣」の一字をもらってつけたほど、彼の思想と、彼の発明による仮説実験授業に心酔した時期がある。今はそれほどではないにしても、彼の思想をしっかり学びたいという気持ちには変わりない。そう思い出させてくれた文章が、『歴史の見方考え方』(板倉聖宣著、仮設社、1986年)について書かれた次のような文章である。

 考えてみれば、「原子論的な考え方」とか「数量的な考え方」とか「仮説実験の論理」というものは、古代の原子論やアルキメデスの静力学以来、コペルニクスの地動説、ギルバートの磁石・電気論、ガリレオの天文学と動力学、フックの分子運動論やニュートンの力学や光学、ラボアジェやドールトンの化学、ファラデーやマックスウェルの電磁気学などに適用されて、ずっとその有効性を発揮してきた方法です。しかも、たいていの場合は、それまでその分野の専門家だったという人びとはそういう方法を導入することに抵抗を示したのに、むしろそういう問題に素人だった人びとが強引にその方法を他の分野に持ち込んで成功したといったほうがいいのです。コペルニクスは牧師で、ギルバートは医者です。ガリレオはもともと数学者です。ドールトンは気象学者で、ラボアジェだって税務官吏で物理学者だといったほうがいいのかも知れません。私のような人間が、「原子論的な考え方で数量的な考え方を歴史学に導入するのはきわめて自然なことだ」とも言えるのです。(板倉聖宣著「私の研究の原則と特色」『たのしい授業』、2018年7月号、p53:1986年に行われた「『歴史の見方考え方』出版記念会」の講演草稿の抄録)

 早速手元にあった『歴史の見方考え方』を開いてみたら、12話のうち、2話まで赤線が引かれていて、読んだ形跡があった。これほどの本だったのに、読みこなしていなかったのだ。改めて、読み直してみることにした。

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