欧米人は本来的に戦闘的であり、攻撃的である、という考えがある。それに対して日本人は、人生を調和のうちに生きようとする、という考えである。その場合、その原因を宗教に求めており、一神教のキリスト教圏の文化と、日本のような場合の多神教の文化の違いに原因があるというのだ。
確かに、宗教を考えれば、日本の場合は寛容である。とはいえ、嫌韓論に見られるような不寛容な面もある。逆に、欧米人の中にも、リベラル派の、寛容な人々も、当然存在している。それは、当たり前であり、当然なことである。それゆえ、国柄を持って、攻撃的だとか、調和的だ、と結論してしまうのはどうかと思う。大切なことは、戦闘性や攻撃性を本来的で、避けられないもの、という考えは間違いだということであろう。
もしも、戦闘性や攻撃性を本来的で、避けられないもの、であるならば、永遠に平和な世界は望めないことを認めることになってしまう。それゆえに、人間の尊厳という価値の普遍性という概念が重要になってくる。人間の戦闘性や攻撃性は、人間の尊厳という価値の普遍性に対立する概念である。人間の戦闘性や攻撃性は、人間の尊厳という価値の普遍性を否定するからだ。
考えてみれば、日本国憲法の戦争放棄の概念は、人間の戦闘性や攻撃性を否定し、人間の尊厳という価値の普遍性を守り、発展させる素晴らしいものであった。つまり、日本国憲法9条は、個人の尊厳を規定した13条とセットで理解されなければならない。
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