2021年6月14日月曜日

安保条約は本当に必要なのか

 本を読んでいて、『世界』などの雑誌からの引用があると、なるべくその雑誌を図書館から取り寄せて読むようにしている。目的の論文以外に、興味のある意外な論文を発見することがあるからだ。
 そうして発見できたお宝論文が、山内徳信著「すべての国民に訴える 普天間移設 名護市受け入れについて」(『世界』、2000年3月号)である。その論文の「武器を持つ者は武器にて滅ぶ」という最後の章で、「これから当然問題となる事柄のいくつかを提起し、国民的な論議を期待したい」(p54)として、4つの事案を提起している。そのうちの二つが、これまであまり聞かれなかった論点だった。辺野古の巨大米軍基地建設は、普天間基地の危険性除去のためだというが、危険性が辺野古へ移るだけで根本的な解決にはならない、辺野古住民の人権無視だ、という主張と、賛成派と反対派の新たな対立を生み出し、「地域共同体の崩壊」をもたらす、という主張だ。

 第一に、現在の普天間飛行場は宜野湾市内にあって危険度が高く、爆音被害等から住民生活を守るためというのが、返還の大義名分である。それでは「危険性」と「爆音被害」等を、候補地とされる名護市民に押しつけることは、人権無視に等しいのではないのか。(p54)

 第三に、降って湧いたような基地の押しつけによって生じる地域社会の対立抗争、地域共同体の崩壊等に対し、行政関係者は自らが住んでいる地域に置きかえて考えたことがあるのだろうか。その責任についての認識を問いたい。(p54)

 第一については、返還の大義名分が真実ならば、辺野古に移っても基地被害は無くならないのだから、基地の建設などできないはずだ。結局、老朽化した基地をバージョンアップして強化することが、真の目的なのだ。そこまで考えを推し進めて考える必要がある。
 第三については、前から、福島と沖縄の構図は同じと言われてきた。その理由の一つがここにある。原発立地の自治体でも、同じような対立が生じてきたからだ。今こそ、既定路線となりつつある安保条約は、本当に必要なのかという根本的に問いに立ち返り、そこかから辺野古の米軍基地建設問題を考えていく必要がある。 

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