2020年6月26日金曜日

敵基地攻撃能力よりも、先ず「悔改」

 最近、敵基地攻撃能力の保有について、新聞の話題に登場してきた。「自民党は(陸上配備型迎撃ミサイルシステム「イージス・アショア」の)代替策として、敵のミサイル発射拠点などを直接破壊する敵基地攻撃能力の保有を検討しており、来月中にも党の提言を政府に提出する」(朝日新聞、2020年6月26日)というのだ。言うまでも無いことだが、敵とは、北朝鮮のことである。 
 本当に、北朝鮮を敵視していいのか!!先ずは、かつてしてきた朝鮮人に対する罪に対する謝罪があるべきでは無いか。キリスト流に言えば「罪の悔改」が、まずなくてはならない。「二大公理」というものを知って、その意を強くした。
 歴史学者の家永三郎さんも、「『自国の罪過を感覚し』『国家的悔改』を遂行すること」の必要性を次のように述べているのも、心強い。

 私は、これら先人(内村鑑三など)と同様の立場から「自国の罪過を感覚し」「国家的悔改」を遂行することこそ、祖国が再度の「罪過」のくり返しに陥るのを防ぎとめ、新生への道を邁進する原動力たらしめる不可欠の前提となる「愛国心」の発露であると確信する。戦争責任の追及の継続は、単に愛国のためになされるのでなく、より広い世界人類のため、さらに人類をも超えた形而上学的目的に奉仕するものと思うのであるが、少なくとも愛国心の発露でもあることを信じて疑わない。(「戦争責任の追及は何のために」『戦争責任』、家永三郎、1985年、p396)

 二大公理
 第一、罪の悔改なきところ、如何に努力しても救は臨まない。
 第二、罪の悔改あるところ、如何なる窮境からも救はある。
 之は基督教の二大公理であり、個人の生涯も、国民及び世界の歴史も、すべてこの二つの公理の証明である。 (『矢内原忠雄全集 短言第17巻』、岩波書店、p246~247)

「悔改」とはギリシヤ語メタノイアの訳語であって、心の向きを転換することを意味する。それは罪を悔いて告白する意味をも含むけれども、それに止らず、更に心を新にして再出発を為す趣旨である。之まで神に背きたる心を百八十度転回して、神に向ふことである。そこには天地の創造主たる人格神が、明瞭確固たる悔改の対象、新生の目標として仰がれ、人のたましひは此の神の前に、全人格的なる畏怖を以て罪を悔い、赦を求め、又この神によりて救の希望を与へられる。之によって始めて我らの罪の悔改は徹底的となると共に、新なる道に生きる積極的・建設的希望を有ち得るのである。(同上、p264)
 

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