2020年6月18日木曜日

「公文書の廃棄、改ざん、黒塗り」は犯罪だ!

 丸山真男氏によれば、「不作為の作為」、つまり、何もしない、という不作為を選びとったことが「現実を一定の方向に動かす意味を持つ」(『現代政治の思想と行動』、p457)のだから、不作為の責任というものがある、という。 

 ところが現在は、

〈不作為の責任〉はおろか、実際に生じた事実の認定さえも拒みとおそうとする心性がしぶとく残存しつづけているばかりか、歴史的事実を隠蔽し、なおかついわゆる歴史修正主義的なねじ曲げまでしてみせようとする勢力が大手を振ってのし歩いているありさまである。(『未来』、2004年2月号、p43)

 さらには、

 戦後民主主義の良質の部分はたしかに醸成されたけれども、いまはむしろその「戦後民主主義」さえも葬り去ろうとする勢力が政治の実権も言論空間も、さらには学問・教育の現場も支配しつつある。(同上)

 現在はどうか。
 公文書の改ざん、黒塗り、さらには廃棄までしても、問題にはされても、責任は曖昧なままだ。『汚れた桜 「桜を見る会」疑惑に迫った49日』(毎日新聞「桜を見る会」取材班著)という本も出版されているが、この本でさえ、「この政権は違法すれすれの『脱法行為』を繰り返して、国家そのものを私物化しつつあるのではないかと危惧している」(「あとがき」p225~226)、と、「際どいことをしているが違法ではない」と受け取れるような書き方をしている。脱法と無法とどこが違うのかわからないが、どちらも違法よりもタチが悪いではないだろうか。
 何れにしても、「公文書の改ざん、黒塗り、さらには廃棄」のどれを取っても犯罪に違いない。どう考えても、私には、そうとしか考えられない。「国民の知る権利への明らかな侵害そのもの」だからだ。だからこそ、この問題をうやむやにしてはいけない。

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