2020年6月19日金曜日

「当たり前のこととしての権利」という自覚を

 図書館で、『世界中の子どもの権利をまもる30の方法: だれひとり置き去りにしない! 』(甲斐田万智子 、国際子ども権利センター 編集、荒牧重人監修)をサッと読んできた。そして、カンボジアの小さな村では、「一番大切なもの」として「権利です」と答えた子どもがいたということ、逆に日本では、「多くの子どもが自分たちの権利を知らされいない」ということに驚き、考えさせられてきた。
 大人の我々も、権利を大切なものとして、当たり前のこととして、社会に要求し、訴えてきただろうか。例えば、「桜を見る会」における「5,000円問題」も、何ら解決していない。実際は、ホテルにいくら支払ったのか、一国民として「知る権利」がある。にも関わらず、何も要求も、訴えもしなかった。それでいいのか。
 森友問題で自死した近畿財務局職員赤木俊夫さんが作成したメモが公表された時、赤木俊夫さんの奥さんが新しい事実を元に、再調査を要求したが、あっさりと断られ、その後の進展は見られない。これだって、「知る権利」の問題でもあった。もっともっと私たちの権利を大切にしたい、そう思った。

読者のみなさまへ
 「あなたにとって一番大切なものは何ですか?」と間かれたら、あなたは何と答えますか?  3年前、カンボジアの小さな村で、子どもたちに「あなたの一番大切なものは何ですか?」と尋ねたとき、「権利です」と答えた子どもが何人かいました。
 そして、その理由を聞いてみると、1人の子どもは、「差別されなくなるから」と答えました。真しい家庭の子どもは差別されがちですが、この地域の子どもは物どいにベトナムに行くことが多く、地域としても差別されていました。 ・・(『世界中の子どもの権利をまもる30の方法: だれひとり置き去りにしない! 』、 p2)

 差別を受けてきた子どもたちは、集会・結社の自由の権利を使い、学ぶ権利、保健医療を受ける権利、搾取を受けない権利など、当たり前のことを要求し、社会に訴えていました。それだけでなく、同じように権利を侵害されている女性や少数民族の人たちに思いを寄せるようになっていました。
 その後、カンボジアをはじめ、いくつかの国で子どもたち自身が自分の権利を力強く訴えるのを見てきました。
 一方、今年、子どもの権利条約が国連で採択されて3年、日本が批准して4年になり、子どもの権 利を総合的に実現しようとする条例をつくった自治体も増えていますが(2019年4月現在、48自治体。子どもの権利条約締合研究所調べ)、多くの子どもが自分たちの権利を知らされていません。また、学校の先生や子どもに関わる人々がどれだけ子どもの権利に基づいた実践をおこなっているかというと、まだ限られているように思えます。・・(同上、p3)

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