今度は、高校三年生の小滝晴一さんの言葉を紹介する。戦争によって命を失った人ばかりでなく、青春を「踏みにじられた人達」にも、想いを寄せたこの感想は、高校生らしい感想だった。この感想に触発されて、現に今「戦争中と変わらぬ戦闘機の爆音に苦しんでいる人達」の存在、現に今「軍事基地として土地を奪われている人達」の存在、現に今まで、「米国軍人によって、暴行を受けあるいは命を奪われた人達」の存在に想いを寄せた。このような人たちへの想像力を、今こそ働かせよう!この想像力の重要性を、この手記は教えてくれる。
青春の日の甘美なロマソスに浸るどころか、食物さえ思うように食べられない青春、おしゃれをすることも許されず、ひたすら「お国の勝利」を信じてすごした青春、それは悲劇と呼ぶのには、あまりにも、痛ましいものに思えるのです。
学校が工場にかわったり、学徒動員で工場などに働きにいって勉強さえ満足にすることの出来ない青春というものが、どんなものかは、僕たちの想像に絶するものだろうけれど、いくらお国の為とはいえ、あまりにもむごいことのように思うのです。
(中略)
数多くの青春を踏みにじったもの、それは戦争です。戦争によって多くの青春が失なわれた。だから、もうけっしてこのような犠牲者を出してはいけない。戦争はいけないのだとつくづく思う今日この頃です(『暮しの手帖・97』1968年、p204)。
0 件のコメント:
コメントを投稿