憲法改正の基本問題
私は天皇制を支持することが国民総意の存する所であり、それに依ってのみ真の意義に於いての民主主義を実現し得べきことを信ずるものであるが、如何なる形体に於いて天皇制を支持すべきかと言えば、それは単なる儀礼的の装飾としてではなく又は単に「国民統合の象徴」としてでもなく、立憲君主国たる我が日本国の君主として、言い換えれば、国の最高統治者であり、統治権の最高の源泉に在ます上御万人としての天皇制を支持することが、国民総意の存する所であり又それが国家の統一を保つ上にも欠くべからざる必要であると信ずる。
少くとも、憲法の下に於ける国家最高の意思表示たる法律は、天皇の裁可に依って始めて成立するものであり、又国務大臣及び最高裁判所長官を初め行政及び司法の総ての官吏は直接又は間接に天皇の任命に依ってその職に就き天皇の委任に依りその権限を行うものであるとすることが、この意義に於ける天皇制支持の絶対の要件として認むべきである。(「憲法改正の基本問題」『美濃部達吉著作集』美濃部達吉著、慈学社出版、p227)
続いて、「若し之に反して法律は議会の議決のみに依って成立し官吏は天皇の任命に依らずしてその職に就くものとすれば立法・行政・司法の総ての権力は天皇と関係なく行わるるものとなり、(中略)名義上は天皇制を支持するものであると称するとしても、その実は我が国体を根底から変革するもので、我が国民の歴史的信念を覆し国家の統一を破壊するものと謂わねばならぬ」(同上、強調は引用者による)、と強い表現をしている。
しかし、一度日本国憲法が確定してしまった後は、「国体の変更に非ずというが如きは明白な欺瞞というの外はない」と、新憲法の真髄を正しく捉え、それを擁護するような論を展開しているのである。
主権と人権 私は思う
一、国民主権という観念は君主主権とは相反対するもので、主権が国民に属することを認むるものは即ち主権が君主に属することを否定する趣旨にほかならぬ。随って主権が天皇をも含む国民に属するというようなことを謂うのは全く無意味である。若し天皇が国民の中に含まれるとすればそれは最早天皇ではなくして一般国民と平等の地位に在る一個人に過ぎないものとならねばならぬ。新憲法草案第三章に所謂「国民」も天皇を含まないことは、草案第十三条(衆議院修正第十四条)に「すべて国民は法の下に平等であって」云々といっているによっても明瞭である。
要するに改正憲法草案は従来の憲法に於ける君主主権主義を根本的に変革して国民主権主義を国家組織の根底と為さんとするものであることは明瞭疑を容れないところで、これを以て或る程度にまで君主主義を持続するものの如くに弁明するのは、虚偽を以て国民を欺瞞せんとするものと思われる。
二、国体の観念は国家組織に於ける主権の所在と離るべからざる関係に在るもので従来普通に我が国体と称せられていたのは我が帝国は万世一系の天皇之を統治したまい天皇が国の元首として統治権を総攬したまうことの事実を指称した語である。即ち天皇の統治大権がその観念の中心要素を為して居り、我がポツダム宣言受諾の申入書に「右宣言は天皇の国家統治の大権を変更するの要求を包含し居らざることの了解の下に受諾す」といって居るのも之がためであり以て我が国体を護持せんとしたのである。
しかるに改正憲法草案は立法、行政、司法の殆んど全部に通じて天皇の国家統治の大権を除き去り、限られた数個の形式的権限の外には単に国家の象徴たるに止めようとしているのであって、その我が従来の国体を根本的に変革せんとするものであることは更に疑を容れないところである。これを以て国体の変更に非ずというが如きは明白な欺瞞というの外はない。
註 本稿は、夕刊京都紙の左記の質問に対してあたえられた回答(同紙、昭和二十一年九月二十二日)を再録したものである。(「主権と人権 私は思う」『美濃部達吉著作集』美濃部達吉著、慈学社出版、p244〜245)
(注) 私は所謂民主主義を実現するためには、必ずしも今日直ちに憲法を改正せねばならぬとは信じえないもので、たとい結局は憲法の改正を適当とするとしても、それは急迫の必要ではなく、十分慎重な審議検討を経て決せらるべき事柄であると信ずる。(上同、p204)
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