『世界』、1959年11月号は、時期が時期だけに「安保体制からの脱却」を特集していた。今こそ安保肯定派が多くなっているかもしれないが、当時は、拮抗していたらしい、だから、60年安保の闘いは相当の盛り上がりを示したという。それだけに、論点がわかりやすい感じがする。自衛隊が、ますます米軍に固く組むこまれてしまった感の強い時期だからこそ、原点に帰って安保条約を考えてみたい。その論点を紹介する。なお、強調は引用者による。
この改定が、アジアと世界の平和にとって大きなマイナスにしかならぬと考えていることを申し添えておきます。先年中国を訪問し、その民衆に触れ、安保条約が日中友好、国交回復の最も重大な障害になっていることを痛感しました。 侵略戦争によって私共が隣国の六億の民衆に対して負っている道徳的な負い目を、中国を仮想敵国としているこの条約に縛られて、果せずにいること、民族独立と平和共存のために努力しているアジア諸民族からアメリカ帝国主義の手先きのように疑われていることは、全く悲しいことです。
今朝の新聞をみるとまた岸が「安保改定をあくまでも強行する」と言っていますが、賛否の国論が大きく割れ、与党内でも意見の調整が困難だと伝えられているこういう問題を、「あくまで強行」などという態度で進められたのでは全くたまらない。
安保条約が日本の平和憲法と矛盾するむずかしい問題をはらんでいるのはあきらかだし、また一度きめてしまえば、憲法にきめられた吾々の基本的権利をおかすようなことにもなるのだし、また世界は冷戦解消、緊張緩和の方向へ動きつつあるのだし、なにも急に安保改定をする必要はないし、充分国民の声をきき、選挙でもやって憲法改正同様、国民の三分の二以上の賛成を得てからやるのが本当だと思う。 (千田是也著「私はこう思う・大きなマイナス」『世界』、1959年11月号、p99)
日中両国の間には長い友好の歴史がある、と巨視的に言えば、それに違いはないけれども、この長い歴史を私たちの世代、私たちの両親の世代……と煮つめて来れば、その途端に、中国が久しく日本の武力的侵略の対象であり、この対象を踏台にして、一時、日本が大国の列に加わったという事実が浮かび上って来る。そして、この記憶があるために、一部の日本人の間には、依然として、中国に対する軽蔑の度が屈折したかたちで生き続けている。
しかし、どんなに中国を軽蔑する人でも、同時に、日本が中国で犯した数々の罪悪のことを忘れてはいない。気持の一番底には、黒い罪悪感が横たわっている。(中略)
軽蔑、悔恨、恐怖、尊敬、嫉妬、卑屈……さまざまの相反する感情が幾重にも結ばれて、一つのコンプレックスを私たちの間に作り上げている。その中国が、日本の直ぐ傍にドッカリと存在しているのである。そして、この中国が、日本にとって共存の真実の相手なのである。(清水幾太郎著「日中間にこそ平和的共存を」『世界』、1959年11月号、p108)
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