これらはすべてこの戦後に残された戦争の痛手の、いわばいくつかのサンプルでありまして、それ以外にも、私などの知らないところに、いろいろな形で戦争の痛手は無数に残っていると思います。あるいはこうした事実は日本全体の中におくならば、少数例外の現象であるという意見もあるかも知れません。しかしたとい量の上で少数であっても、質の上で問題の性格は実に深刻であると思います。
このような深刻な状態が続いている限り、われわれは安易に「戦後は終った」などということが、どうして出来るでありましょう。
私はいま、以上非常に個別的な、個人の苦しみというようなことを中心に、戦争の痛手の実例を列挙して来たのであります。もっと広い視野で世界を見渡します時に、われわれはまず十五年戦争の、もっとも正面の敵国とされていた中国と、いまだに講和条約が結ばれていないという驚くべき事実を見出すのであります。
あまりにこれはなんでもないかのような現象と化しているために、見落されがちなのでありますけれども、国際法の立場からいうならば、中国と日本とはいまだに戦争状態にあるといっていいのであります。(同上、p255)
また、戦争責任問題については、「日本人自身の手で戦争責任の追及をする、という視点に欠けていた」ことに気づかされた。原発の問題にしても、責任が曖昧だ、とか、無責任体質だ、というだけで、自ら、「責任の追及をするという視点」がなかったのではないか、と思った。731部隊や南京虐殺は、明らかな戦争犯罪であったにも関わらず、追求されることはなかったのではないだろうか。ドイツと、何が違ったのだろうか???
戦争の跡始末をはたして十分につけているであろうかということを考えます時に、私は戦争責任の追及が、全くといって良いほど、日本人自身の手でなされていないという事実に、皆さんのご関心を喚起したいと思います。
戦争裁判はありました。しかしそれは連合国が占領軍の立場からやったのであります。日本人自ら戦争犯罪を追及するということはなされませんでした。その点では西ドイツなどと全く事情が違っております。
ごく最近非常に小さな記事であったので、見落された方もいらっしゃるのではないかと思いますが、西ドイツの議会では「戦争中の残虐行為についての刑事責任の時効を停止しない」という議決をしています。西ドイツでは戦後二四年いまだにドイツ人自身の手によって戦争責任が追及されているのでありますが、日本では連合国の占頷下における極東裁判にまかせてしまって、日本人自らなすべき戦争責任の糾明をついに怠りました。それが今日日本がはなはだ多くの問題をかかえている、一つの重要な根源であると思います。
六月二十七日の『朝日新聞』夕刊でありますが、
ナチ大量殺人者の時効廃止、西ドイツ連邦議会は二十六日ナチの大量殺人容疑者に対する時効を廃止
する法案を、賛成二八〇票、反対こ一七票、棄権四票で採択した。
小さな記事でありましたので、ち太っと目立たなかったけれども、日本の現状と対比する時に、私はこの小さな記事から大きな衝撃を受けないではおられませんでした。(同上、p256)
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