北朝鮮という国の行動を非難する時、あの国に暮らす一人一人の顔を消してしまう。あの国の首長の振る舞いに賛同するはずもないが、圧力をかけ続ければ態度を変えるだろうと見込むアメリカの方針に付き従うために、対話を断ち切った日本政府の対応には首をかしげる。「在日」の立場から、日本の戦争責任や国内で蔓延る差別言動を綴る一冊で、北朝鮮に対して「対話を、求めます」と結んだ。「対話の道筋の中でしか、共通の言葉は見つけられません」 との訴えが重い。(『暮しの手帖』、2,018年2-3)
「北朝鮮という国の行動を非難する時、あの国に暮らす一人一人の顔を消してしまう」という言葉には考えさせられた。非難対象の国に住む一人一人の顔を思い浮かべられたら、平等という概念がグローバルの概念のして考えられたら、・・・と。
日本人も、朝鮮人も、中国人も、アメリカ人も、人として、一人の人間として尊重されるべき人間として、皆平等というグローバルな平等概念が、今こそ必要なのかもしれない。権力者の中に、こうした概念がないばっかりに、”対話を平気で断ち切って”しまえるのであろうから・・・。
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