貯蓄奨励標語には、「一死奉公一心貯蓄」「決死の出征必死の貯蓄」
時局認識に関する標語には、「一億の心染めよ日章旗」(広島県)「一億一心輝く国威」(長野県)「兵は一線銃後は防空」(沖縄県)
次に最初の一ページを紹介する。国民精神総動員運動とは、何のことはない、国民が一丸となって戦争を推し進めようとしたことに他ならない。ここに示されている国民精神総動員運動中の戦争の発展過程が、そのことを雄弁に語っている。
戦争を事変とカモフラージュしておきながら、「幾度か対外の戦争を経験して来た」と書かれていたことに、「何だこれ」と思ってしまった。
戦争を事変とカモフラージュしておきながら、「幾度か対外の戦争を経験して来た」と書かれていたことに、「何だこれ」と思ってしまった。
昭和十二年十月--昭和十四年三月
昭和十二年七月七日の夜、蘆溝橋に起つた不詳事件を契機として勃發した支那事變は、蔣介石を首班とする國民政府の多年に亘る排日敎育、抗日政策、歐米依存の傳統政策必然の結果ではあるが、彼をして対日反抗政策を採るに至らしめたものは、執拗なるコミンテルンの教唆と、支那に於て利益を壟断(独占)せんとする英米佛等の授助とである。即ち表面の敵は蔣石政権であるが、実は思想的に経済的に我に挑戦し来つた敵が他にあつたのである。
今次事變は、名は事變であり、對手は蔣介石政府であるが、東亞を安定し、世界の文化に貢献せんとする、我が公明正大なる意図を阻む世界のあらゆる勢力との戦である。面してこれ等外力が、容易に支那から手を引き、東洋から退却するとは想像されない
我が政府の現地解決、不拡大方針も彼等を反省せしむるの力なく、蘆溝橋事件は、忽にして(たちまち)北支事変となり、北支事変は上海に飛火して支那事変と発展して、遂に我をして支那に鬱積せる積年の懸案な披本的に解決せんと決心せしむるに至つた。
我がは過去に於て、幾度か対外の戦争を経験して来たのであるが、・・・『国民精神総動員運動』国民精神総動員本部発行、p1)
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