しかし、「憲法にとっての最大の危機」と言われてからすでに六十年経っても、憲法は健全です。なぜでしょうか。その答えも、あくまでも仮説ですが、このnews paperの中に見つけることができました。東京大学学生だった江田五月さんのものですが全文紹介します。
その中で、「新憲法は、われわれにとっては空気のように、意識しなくてもそれを欠かしては生きていけない存在となっている」。「憲法はわれわれの思想と行動の基本となっている」。だから、「われわれの血肉となっている憲法感覚は、どんなにゴマ化しても、これを鋭く見破り、必ずやこの動きを粉砕するでしょう」と言っていたのです。だからこそ、いくら踏みにじられようとも、憲法がこれまで命脈を保ってこれたのでしょう。
終戦により長い反動の歴史に一応の終止符が打たれたかに見えた時期、新憲法の反ファッショ戦線の成果としての性格が強い時期に、われわれは摸索の中から着々成果をあげていた民主教育の中で育ちました。新憲法は、われわれにとっては空気のように、意識しなくてもそれを欠かしては生きていけない存在となっているのです。民主主義とか、基本的人権、国民主権、民主的家族制度云々という必要はなく、憲法はわれわれの思想と行動の基本となっているのです。それは反面、われわれの弱さー体制的視点がともすれば欠けがちなことーとも結びついているのですが、しかし真に内発的に憲法改悪に対処するという強さも合わせ持っているといえるでしょう。
日本資本主義の高成長・強蓄積の過程、また憲法のなしくずしの過程でもあり、実体を失った憲法をも自己の思うように変えようとしています。しかし、われわれの血肉となっている憲法感覚は、どんなにゴマ化しても、これを鋭く見破り、必ずやこの動きを粉砕するでしょう。(東京大学学生 江田五月著「憲法こそわれらの支え」『平和と民主々義』、1962年5月3日、p7)
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