『読むことの歴史:ヨーロッパ読書史』(大修館書店、六〇〇〇円)も、そうした一冊で、「書き能力の普及、読むことへの熱狂」が、やがては、フランス革命に影響を与えることになるという解説は、読書が社会において、いかに大きな役割を果たしてきたかを物語って興味深かった。
近世、近代になるにつれ、読書はますます社会において大きな役割を果すようになる。読み書き能力の普及、読むことへの熱狂が、やがてビラや新聞という大量出版物を生む。男性の半分、女性の三分の一が文字を読めるようになってフランス革命が起る。
近世以前の読書は、大半が宗教と結びついていたが、十八世紀に起きた読書革命によって宗教の優位性はあっという間にくずれ、文化は全面的に世俗化の道を歩みはじめる。
似たようなことが、朝日新聞コラム「(ひと)官沢治郎さん 沖縄で学習塾を立ち上げた元外交官」(2022年2月3日)の中にあった。官沢治郎さんは、2009年に外交官としてアフガニスタンに赴任したとき、タリバン政権のくびきから解かれた国で人材を育てるための学校建設に奔走し、「学ぶことこそ社会の礎だ」と確信したというのだ。社会人による読書は、生涯学習における学びの一環である。読書活動も、社会の礎となり得るのではないだろうか。
それでは、学びの前提は何であろうか。
それは、やはり学問の自由であり、出版や表現の自由であり、集会や結社の自由であろう。学びに「学び合い」が欠かせないし、伸び伸びとした表現の自由も欠かせないからだ。だからこそ、政治的自由も必要になってくる。そういう意味では、戦前から比べれば現代社会は、革命的な進歩であり、自由の拡大だった。この事実一つとっても、間違っても、戦争のやりやすい戦前に回帰するような憲法の改悪を許してはならない。
0 件のコメント:
コメントを投稿