倫理といったら、人倫の思想と言って人間の本質と同じく、時代にが変わっても変わらないものと思ってきた。いつの時代であっても、虐げられたり、蔑まされたりすれば、嫌である。嫌なものはいつの時代でも嫌なのだ。そう思ってきた。しかし、和辻哲郎さんの「日本倫理思想史」の輪郭を知って驚いた。時代によって、倫理観も変わっているからだ。具体的には次の通りで、神話時代から明治時代まで詳しく研究されている。
「日本倫理思想史 上 緒論 第一篇 神話伝説に現れたる倫理思想 第二篇 律令国家時代における倫理思想 第三篇 初期武家時代における倫理思想 第四篇 中期武家時代における倫理思想」 『和辻哲郎全集・12巻』
「日本倫理思想史 下 第五篇 後期武家時代における倫理思想 第六篇 明治時代の倫理思想」『和辻哲郎全集・13巻』
このことを知って、これとの関連で柄谷行人さんの交換様式論のことを思い出した。人間社会には、ABCDの四つの交換様式が存在し、「歴史の大筋は、交換様式Aが支配的な交換様式である社会(氏族社会)から、Bが支配的である社会(国家、帝国)を経て、Cが支配的な社会(資本制社会)に至る。そして、Dが支配的な交換様式であるような社会」(『戦後思想の到達点:柄谷行人、自身を語る 見田宗介、自身を語る』、柄谷行人著NHK出版、2019年、p19)に向かっていくことになる、というものだ。倫理思想も、四つの交換様式に対応したものが存在し、それぞれの交換様式を支えているのかもしれない、と思った。そして、ニーチェが目指した「超人」や、カントが目指した、啓蒙によって「未成年の状態」から抜け出した状態が、交換様式Dに対応した倫理状態になる、と。
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