問題は、どうすれば「我を去り私心をなくす」ことができるかだ。それは、私欲を無くすこと、あるいは熱中するもの、夢中になれるものを見つけることであると思う。そこで思い出したのが、頭の中にあるものを書出し、頭を空っぽにする方法である。このことと、高橋さんの言わんとしていることが一致しているかどうかはわからない。しかし、やってみる価値はあるのではないだろうか。
ここで、最近読んだ『人間理解の基礎 中学生の哲学』(内田詔夫著、晃洋書房、2002年)にあった一節「どんな分野においても、人間の成長は基本的にこのような試行錯誤の繰り返しの中で誤りから上手に学ぶことによってなされるのだろう」を思い出した。書き出すだけで「頭を空っぽにする」ことができても、私心をなくして高橋さんの言わんとしている境地になれるかどうかわからないが、試行錯誤の精神で「やってみる」価値はありそうだ。
ここにきて、また次なる言葉を思い出した。今度は聖書の一節で「求めよ、さらば与えられん/尋ねよ、さらば見出さん/門を叩け、さらば開かれん」(マタイ伝7章7節)である。「やってみる」ということは、「求め、尋ね、門を叩く」ことでもあることに気づいたのだ。どうであろうか??
0 件のコメント:
コメントを投稿