2022年2月26日土曜日

人間の成長は試行錯誤の繰り返し

 人間には、「生老病死」というの四苦があると言われているが、何と言っても死の恐怖は最大のものであろう。私だって小心者で死は恐怖である。だから、人一倍健康に気遣ってきた。それでも、確信を持って生きられるまでには至っていない。そんな状態で「我を去り私心をなくす、そうして自然の大道と己を一緒にしてみると、生死というものがなくなってくる」(高橋是清)という言葉に出会い、心を動かされた。こんな生き方を求めていたのではないか、と。
 問題は、どうすれば「我を去り私心をなくす」ことができるかだ。それは、私欲を無くすこと、あるいは熱中するもの、夢中になれるものを見つけることであると思う。そこで思い出したのが、頭の中にあるものを書出し、頭を空っぽにする方法である。このことと、高橋さんの言わんとしていることが一致しているかどうかはわからない。しかし、やってみる価値はあるのではないだろうか。
 ここで、最近読んだ『人間理解の基礎 中学生の哲学』(内田詔夫著、晃洋書房、2002年)にあった一節「どんな分野においても、人間の成長は基本的にこのような試行錯誤の繰り返しの中で誤りから上手に学ぶことによってなされるのだろう」を思い出した。書き出すだけで「頭を空っぽにする」ことができても、私心をなくして高橋さんの言わんとしている境地になれるかどうかわからないが、試行錯誤の精神で「やってみる」価値はありそうだ。
 ここにきて、また次なる言葉を思い出した。今度は聖書の一節で「求めよ、さらば与えられん/尋ねよ、さらば見出さん/門を叩け、さらば開かれん」(マタイ伝7章7節)である。「やってみる」ということは、「求め、尋ね、門を叩く」ことでもあることに気づいたのだ。どうであろうか??

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