今回は、見田宗介さんの未来社会論を『現代社会はどこに向かうか』から要約してみる。
新しい世界を創造する時のわれわれの実践的な公準は、第一に肯定的であるということ。第二に多様であること。第三に現在を楽しむことである。
「第一の肯定的であるということは、現在あるものを肯定する、ということではない。現在無いもの、真に肯定的なものを、ラディカルに、積極的に、つくりだしてゆく、とその中で桎梏となるもの、妨害となるもの、制約となるものがあれば、権力であれシステムであれ、この真に肯定的なものをこそ力とし、根拠地として、打破し、のりこえてゆくということである」(p153)。
第二の多様性について言えば、宮沢賢治の詩稿の断片に、このような一節がある。
「第一の肯定的であるということは、現在あるものを肯定する、ということではない。現在無いもの、真に肯定的なものを、ラディカルに、積極的に、つくりだしてゆく、とその中で桎梏となるもの、妨害となるもの、制約となるものがあれば、権力であれシステムであれ、この真に肯定的なものをこそ力とし、根拠地として、打破し、のりこえてゆくということである」(p153)。
第二の多様性について言えば、宮沢賢治の詩稿の断片に、このような一節がある。
と。ああたれか来てわたくしに言へ/「億の巨匠が並んでうまれ、/しかも互に相犯さない、/明るい世界はかならず来る」
われわれはここで巨匠の項のコンセプトに、幸福をおきかえてみることができる。
億の幸福が並んで生まれ、/しかも互いに相犯さない、/明るい世界はかならず来る。
と
明るい世界の核心は、億の幸福の相犯さない共存ということにある。
第三の現在を楽しむことは、「新しい世界をつくるための活動は、それ自体心が躍るものなければならない。楽しいものでなければならない。その活動を生きたということが、それ自体として充実した、悔いのないものでなければならない。解放のための実践自体が解放でなければならない」(p 155)。
明るい世界の核心は、億の幸福の相犯さない共存ということにある。
第三の現在を楽しむことは、「新しい世界をつくるための活動は、それ自体心が躍るものなければならない。楽しいものでなければならない。その活動を生きたということが、それ自体として充実した、悔いのないものでなければならない。解放のための実践自体が解放でなければならない」(p 155)。
私は、第三が特に重要で、見田さんの独創ではないかと考えている。ややもすると、明るい未来のためには、多少苦しいこと嫌なことがあっても仕方がない。「苦ありて楽あり」なのだ、といった考えがほとんどに思えるからだ。「解放のための実践自体が解放でなければならない」という思想の源流があったら教えて欲しいものである。
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