街を散策していると、溢れるばかりのシンボルがある。一番身近なのが道路標識であろう。そのほか数え上げればキリがない。そのシンボル化が脳の発達に欠かせなかったらしい。それどころか、「人間という生き物の特殊性の根源が、物事をシンボル化して表す能力にあった」「ヒトに特有のさまざまな能力がそこから派生してきた」(長谷川眞理子著、朝日新聞、1999年6月20日、書評、『ヒトはいかにして人となったか』、テレンス・W・ディーコン著、新曜社、1999年)という説があるというのだ。
シンボル化とは、一種の抽象化でもある。多くの情報をまとめて表示することだからだ。と、ここまで買いてきて古代の洞窟に描かれた動物の壁画のことを思い出した。壁画もシンボルの一つであり、文字以前の情報伝達の、あるいは情報記録の一つの手段だったのではないか、と思えてきた。このことは何を意味するか?
図解の一つのシンボル化である。文字情報を元に図解することもあるが、本来ならば、文字情報にする前に頭の中にあるものをシンボル化して、それを元に言語化するのが本来のあり方なのではないだろうか。つまり、思考の道具として、もっとシンボル化の過程を大切にするべきである。このことを、動物壁画は教えてくれている。そう思えてきた。
ところで、芸術としての絵画も、一つのシンボルと考えることもできる。そう考えると、絵画鑑賞の仕方に新しい視点を加えることができそうである。「臨場感たっぷりの浮世絵」で紹介した浮世絵は、全くのシンボルである。一つの物語を一枚の絵にしたものだからだ。待てよ。ピカソの「ゲルニカ」だって、大きなシンボルといえよう。本当にそうだ。絵画もシンボルだったのだ。
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