この本は、若き日の草稿だけに、欠けるページがあったり、「そんな中途半端な、不完全な本だが、にもかかわらず、丁寧に読めば、マルクスのほかの著作にはない青年期の輝くような思考や思想をそこに見つけることができる」。「草稿の四と第三草稿の『二』は本書のなかでも青年マルクスの生き生きとした思考がもっとも躍動する章だ」と、読みどころまで紹介されていた。
私が感動した部分は、「人間は、意識的な存在であり、みずからの生活を対象とする存在」であり、植物、動物、石、空気、光などの自然は、「ときに自然科学の対象に、ときに芸術の対象となって、精神的な非有機的自然ないし精神的な生活手段として、加工した上で享受され消化される」というところだ。つまり、人間は意識的な存在であり、「自然物に依存しないでは生きていけない」存在であるだけでなく、科学や芸術活動といった形で「享受され消化される」という表現が、なんとも素晴らしい。
特に重要な「私にとっての発見」は、マルクスが、「ヘーゲル哲学を引き継ぐ形で宗教批判を強め、新しい人間学を模索する批判哲学がある。フォイエルバッハ、シュトラウス、ブルーノ・バウアーなどがその系列の哲学者だ」とあるように、「新しい人間学」を模索していたことである。マルクスが模索した人間学は、「人間本来の生命活動は、人間の意志と意識に導かれるものであるとともに、人間と自然との根本的な交流を示すものでもある」と、その一端が解説されていた。
動物は、その生命活動と隙間なくぴったり一体化している。動物は生命活動そのものだ。たいして人間は、生命活動を意志と意識の対象とする。生命活動を意識的におこなうわけで、生命活動とぴったり一致してはいない。意識的な生命活動をおこなう点で、人間は動物的な生命活動から袂を分かつ。そのことによって初めて人間は類的存在である。いいかえれば、人間はまさしく類的存在であることによって、意識的な存在であり、みずからの生活を対象とする存在である。だからこそ、その活動は自由な活動なのだ。(第一草稿 四.疎外された労働)
植物、動物、石、空気、光などが人間の意識に入りこみ、理論的な面では、ときに自然科学の対象に、ときに芸術の対象となって、精神的な非有機的自然ないし精神的な生活手段として、加工した上で享受され消化される。と同時に、植物、動物、石その他は、実践的な面でも、人間の生活と活動の一部をなしている。自然の産物のあらわれかたは、栄養、燃料、衣服、住居など種々雑多だが、肉体的存在としての人間は、そのような自然物に依存しないでは生きていけない。(第一草稿 四.疎外された労働)
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