ハンナ・アーレントの解説書『ハンナ・アーレント 「戦争の世紀」を生きた政治哲学者』(矢野久美子著、中公新書、2014年)に、全体主義に対するわかりやすい定義があった。
人びとを人間として「余計な者」にすることと、多様でそれぞれが唯一無二の人びとが地上に存在するという人間の複数性を否定することが、全体主義の悪であった。ヤング・ブルーエルは書いている。このような解説を読むと、全体主義というものは、不寛容といった生易しいものではないことがわかる。敵対者の否定であり、抹殺であった。そういう意味では、アウシュヴィッツ収容所の存在は、全体主義の象徴的存在なのかもしれない。全体主義は政治の消滅である、と彼女は論じた。すなわち、それは政治を破壊する統治形態であり、語り、行為する人間を組織的に排除し、最初にある集団を選別して彼らの人間性そのものを攻撃し、それからすべての集団に同じような手を伸ばす。このようにして、全体主義は、人びとを人間として余計な存在にするのである。これがその根源的な悪なのだ。(『ハンナ・アーレント 「戦争の世紀」を生きた政治哲学者』、pII4〜II5)
その全体主義の対極にあるのが民主主義だとすれば、民主主義の破壊が進んでいる日本も、徐々に全体主義の方向に向かっている、ということもできる。注意しなければならない。
この著書を通じて、矢野久美子氏の存在を知った。例によって、他の著書を調べ、その中から二冊を選んだ。そのうちに読んでみたい。
*『なぜアーレントが重要なのか』 、E.ヤング=ブルーエル著、みすず書房 、2008年
内容紹介:政治とは、未曾有の事態の中で創造的に判断することである-。「全体主義の起原」「人間の条件」「精神の生活」を軸に、アーレントの思想の根源をとらえ、現代世界の緊迫の問題へと繋ぐ]
*『少しだけ「政治」を考えよう! 』、フェリス女学院大学シティズンシップ教育グループ編著、松柏社、2018年内容紹介:「政治」とはなんのためにあるのか。誰のためにあるのか、そして、「社会」は変えることができるのか-。フェリス女学院大学の教員有志が、こうした根源的な問いに若者が自分なりの答えを探すためのヒントを伝える。
「第二の誕生と公共空間」:矢野 久美子著
「私たちの私たちによる私たちのための政治」:常岡(乗本)せつ子著
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