2021年5月13日木曜日

さて何をなすべきか。

  今日も、素敵な言葉に出会った。ジャーナリストだった中馬清福さんが、落ち込んだ時に思い起こすという評論家・故加藤周一さんの言葉を紹介していたが、その言葉の中にあった。信濃毎日新聞の求めに応じて寄せられて原稿だという。

 さて何をなすべきか。少数派が未来の多数派になるように、意見を変えず、いつまでもひつつこく、憲法の平和主義を捨てず、戦争に死んだ友だちや親や祖先を忘れず、できるだけの小さな努力を重ねながら生きてゆくのが、よろしかろうと私は思う。
 これは悲観的な意見だろうか。とんでもない。少数意見の多数意見になる日を望んで暮らすことの他に民主主義というものがあるわけではない。人生に目標があり得るという考えは、悲観的どころか、むしろ楽観的な考え方であろう。
 これは非現実的な考え方であろうか。必ずしもそうではない。金もうけを人生の目標としても、その実現はむずかしく、井原西鶴も言ったように、貧乏人が金もちになる望みは現実的ではない。しかも金もうけへ向かう過程は明るくないだろう。しかるに民主主義的な目標へ向かう過程には、現実に日常的に、一種の明るさ、または温かさが伴うのである。(『日本の基地問題を考えてみよう』、
中馬清福著、岩波ジュニア新書、2009年、p213)
 この中の「憲法の平和主義を捨てず、戦争に死んだ友だちや親や祖先を忘れず、できるだけの小さな努力を重ねながら生きてゆくのが、よろしかろう」と、「少数意見の多数意見になる日を望んで暮らすことの他に民主主義というものがあるわけではない」という言葉に、私も励まされた。こうしたささやかな小さな努力を重ねながら、少数意見の多数意見になる日を望んで暮らす人々が、少しずつ少しずつ増えていき、多数意見になっていく。こうした動的な過程に民主主義がある。なんて素敵な言葉だろうか。

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