軍備の必要性を、泥棒に備えた戸締りに例えて説明されることがある。そうした議論に対する批判部分を読んで、その心地よい論理が素晴らしかった。読みやすくして紹介する。
軍備は泥棒を防ぐ戸締りだと言うなら、何処かに其の泥棒のいる筈である。
世界の各国が皆、おれは泥棒ではない、唯泥棒を防ぐ為に軍備をするのだと言うは、驚くべき矛盾である。彼等は、何でもない影を見て、泥棒だと恐怖しているのか、さもなくば互いに若しくは或国が、泥棒でありながら、ずうずうしくも白を切っているのか、いずれかでなくてはならぬ。
そして、其の執れであるにしても、攻究すべき問題は是にある。何でもない影に恐怖しておるのならば、其の正体を明らかにする必要がある。互いにか、又は或国かが、実は泥棒であるのならば、そんな泥棒などせずとも、互いに暮して行ける社会状態を作ろうではないか。
若し世界の平和を真に愛好する者であるならば、必ずここまで其の考えは及ばねばならぬ。換言すれば、世界から泥棒国を無くなす、従って攻撃的軍備は勿論の事、防禦的軍備をも無用にする、ここまで突っ込んで行って、初めて彼は真に平和を顧念する者と言えるのである。
我が軍備は、全く国防的である、其の必要は絶対的だとすましてる論者は、少なくも世界の個人主義者(悪い意味の)たるの非難を免れない。そはあたかも、己れの家は垣が高い、戸締りが十分だ、世間にどんなに泥棒がいたって構わぬ、と言う態度だ。彼には、自ら世界の先頭に立って、もしくは世界の人々と力を合せて、世界を、人の住み善い場所にしてやろうと言う意気がない、経綸がない。(p162)
ここに、日本国憲法の精神が立派に存在しているのに驚く。「泥棒などせずとも、互いに暮して行ける社会状態を作ろうではないか」とか、「世界から泥棒国を無くなす、従って攻撃的軍備は勿論の事、防禦的軍備をも無用にする、ここまで突っ込んで行って、初めて彼は真に平和を顧念する者と言えるのである」である。このような文章を読むと、日本国憲法の中に先人の業績が集約されているような気がする。少なくとも、押しつけ憲法では無いことだけははっきりするであろう。
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