安倍政権で、公文書を軽視する風潮が増してきた感がある。野党が公文書を要求しても応じなかったり、無いと言っていたのが後からその存在が明らかになったり、極端な例は、シュレッターにかけて処分してしまったというものだろう。しかし、議事録などの公文書は、民主主義の前提であったはずである。なぜなら、民主主義は、粘り強い対話の積み重ねによって実現されていくものだが、その対話の積み重ねにとって議事録は欠かせないからだ。
『 今こそ「社会主義」 混迷する世界を読み解く補助線』(池上彰・的場昭弘著、朝日新聞出版、2020年)でも、「議事録が民主主義国家を可能にする」という項目の中で、「法治国家であり、民主主義国家であり、なおかつ文明国家であることの前提条件として、記録を残す努力は、たとえ金がかかってもやっておく必要がある」(p227〜228)と書かれている。イギリスでは、200年の議会報告書がありだいたい図書館に入っている、という。
考えてみれば、こうした民主主義の基本中の基本も理解し、守ろうとしない政党に、改憲の資格はない。民主主義の政治を実践できて初めて、改憲の資格ができるというものである。しかし、民主主義は必要ない、民主主義は邪魔である、という政党なら、もちろん改憲の資格が出てくる。その場合の改憲は、当然、憲法破壊を目指す改憲となるであろう。
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