2020年11月29日日曜日

言論の弾圧=国家による暴力

 手塚治虫さんにとって”言論の弾圧”は、人間狩り、大量虐殺と同列な”国家による暴力”だった。そのことを次のように書いていた。

人間狩り、大量虐殺、言論の弾圧という国家による暴力が、すべて”正義”としてまかり通っていた時代が現実にあったことが、今の若者たちには遠い昔の歴史ドラマでしかないかもしれません。でも、女も子どもも無残にあっけなく殺されていったのは、ついこの間の厳然たる事実なのです」(『ガラスの地球を救え』、光文社、1989年、p42)。 

 今日の学術会議問題も、結局は”言論の弾圧”なのだ。しかし、戦前・戦中の言論弾圧を挙げながらも、”国家による暴力である言論の弾圧は止めよ!”と言った強い批判は見られない。朝日新聞でも、

 日本学術会議が推薦した会員候補6人が任命されなかった問題で、歴史学者らが13日、菅義偉首相に任命拒否の撤回を求める約14万人分のネット署名を内閣府に提出した。「悪例を残す大変な問題。前例のない、学問の自由と独立に対する侵害だ」と訴えている。
 署名は、鈴木淳・東京大教授と古川隆久・日本大教授(ともに日本近代史)が呼びかけて3日にネット上で開始。12日正午までに、14万3691筆を集めた。戦前・戦中の言論弾圧を挙げ、「今回の事態を座視できない」と強調。政権に批判的な学問的見解が国家のためになることも十分にありえるとして、「時の政権の意思にかなうかということと、学問的な適格性はイコールではない」と指摘した
。(2020年10月14日)

 と、この程度だった。「日本学術会議が推薦した会員候補6人が任命されなかった問題」は、国民に対する国家による暴力なのだ、という認識こそが必要なのかも知れない。

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