2020年11月23日月曜日

六人の排除は「人間の存在に対する否定」

 日本学術会議問題の本質は、表現の自由の問題だけでなく、その根っこに「人間の尊厳」に関わる憲法13条(すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする)の問題がある、と思ってきた。同じような主張を見つけ、心強く感じた。

 今回の問題が起きてすぐ、いくつかの新聞社から意見を求められました。記者はみな「これは昭和八年に京都帝国大学で起きた滝川幸辰事件とか、美濃部達吉の天皇機関說排撃と重なる思想弾圧の動きではないか」と訊くのですね。否定はしません。しかしそれ以上の動きだという意識を持たないとまずい。ことの本質はパージです。パージとは思想や政治の問題ではなく、基本的な人間の存在に対する否定です。だからもっと深いところから論じなければならない。(保阪正康著「ファッショの構図を読み解く」『世界』12月号、p140)

 また、青木理さんも「抵抗の視点」(『サンデー毎日:2020年11月29日号』)で、「様々な論点が提起されているものの、いずれにせよ首相の任命権という公権力を行使して6人の会員候補を排除した。つまり国家権力の行使者たる首相が、その権力を行使し、特定の市民に不利益を与えた。それなのにその理由を明示しないなどということは許されない」と書いているが、「権力を行使し、”特定の市民”に不利益を与えた」のであるから、パージと同じく、思想や政治の問題ではなく、基本的な人間の存在に対する否定と言って良い。
 さらに青木さんは、日本学術会議問題は憲法34条と構造的に似ていることを指摘している。34条は、「何人も、理由を直ちに告げられ、且つ、直ちに弁護人に依頼する権利を与えられなければ、抑留又は拘禁されない。又、何人も、正当な理由がなければ、拘禁されず、要求があれば、その理由は、直ちに本人及びその弁護人の出席する公開の法廷で示されなければならない」と規定しているからだ。(ちなみに、身体の拘束のうち、一時的なものが抑留、より継続的なものが拘禁)
 弁護士さんの解説によれば、 前半は、いわゆる被疑者の弁護人依頼権についてで(「弁護人」は弁護士のこと)、後半は、拘禁という人身の自由を侵害する場合は、正当な理由が必要であるということである。

 日本学術会議問題でも、排除によって自由(人権)が侵害されたのであるから、その首相による権利の行使(人権の侵害)が妥当と言うのであれば、「正当な理由が必要である」ことは間違いない、と思う。逆に、「正当な理由を示せない」のであれば、「首相による権利の行使は人権の侵害になって違法」ということになる。

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