2020年11月22日日曜日

日本国憲法は国民生活に浸透した政治的伝統

 加藤周一氏の「護憲の理由」 を再読した。一九九三年に書かれたものだが、古さは感じられない。逆に、日本国憲法が有効であったのは七四年となり、日本国憲法が国民生活に浸透した政治的伝統は、より重みを増したことになる。インフォームドコンセントの条件については、あまり問題にされないが、重要な視点だと思う。以下、要点を紹介する。なお、強調は引用者による。

 湾岸戦争以来、日本国で改憲論議が盛んである。改憲の内容は、主として、国際粉争を解決するために武力を用いることを禁じた憲法第九条を改めて、自衛隊の海外派兵を可能にしよう 。その議論は私を説得しない。私は第九条を改めない方がよかろうと考える。その理由はおよそ次の通りである。
 第一、武器の破壊力は絶えず増大し、戦争の被害は限りなく拡がってゆくから、もし人間社会が生きのびるとすれば、いつかは戦争をやめなければならず、いつかは世界連邦政府を成立させなければならない。それが遠い将来を望んでの大きな理想である。その遠大な理想へ向っての曲折に満ちた人類の歩みにおいて、一歩を先んじたのが、日本国憲法の理想主義であろう
 一国民の誇りの根拠は、単にその現状(たとえば物質的豊かさ)によるばかりでなく、またみずから信じる価値、すなわちその理想による。(中略)もし日本国民が国際社会で通用し得る普遍的な理想をもつとすれば、憲法の平和主義のほかにはないだろう。長期的にみて望ましいのは、日本国の改憲ではなくて、まだ第九条をもたぬ国々の改憲である。(「護憲の理由」『加藤周一自選集 8』、岩波書店、p319)

 第二、大日本帝国憲法が有効であったのは、五六年間。日本国憲法が有効であったのは四七年間(一九九三年現在)。一方が伝統ならば、他方もすでに伝統である。国民生活に浸透した政治的伝統は、それがあきらかに破滅的な結果(たとえば一五年戦争)に到るものでないかぎり、みだりに改変を計るべきものではない。(同上、p320)

 第三、改憲は、つまるところ日本国民の意志による。国民の意志決定は、改憲が日本国をどこへ導くかを国民が十分に知った上で行われなければならない(いわゆるinformed consent)。その条件がなく、そ れでも国民の半数が改憲を望まぬときに、世論を操作して改憲を企てるのは、民主主義の原則に反するだろう。 以上の理由により、私は日本の多くの市民と共に、またおそらくアジアの人民の大多数と共に、日本の国際貢献が軍事的であることを望まないのである。(同上、 p322)

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