この場合の過去は、歴史の負の遺産のことを指している。ナチスドイツによるアウシュビッツの悲劇や、日本軍による南京虐殺、あるいは太平洋戦争における多くの悲劇などがそうである。こうした過去を心に刻んでおれば、2度と同じ過ちは起こすまいという意志が生まれる。しかし、そうしたことはなかったことにしたり、忘れてしまえば、同じ過ちを起こし易くなってしまうということだ。
ヴァイツゼッカー大統領は、だからこそ、過去の負の遺産をしっかり心に刻むことの大切で合うことを次のように述べている。
「われわれは、独裁制を、戦争を、不法国家を、ほとんど他の民族が経験しないであろうような仕方で経験したのであります。多くの明暗の章をもつわれわれの歴史の遺産の中でも、これは、とくに重い意味をもつ一章となりました。しかし、これをなおいっそうよく理解し、いっそう明瞭に記憶にとどめ、そのもたらした結果にたいする責任をいっそう明確に担おうとするならば、この過去からわれわれのアイデンティティの危機が生じるということは、それだけ少なくなるでしょう。それどころか、われわれは、いっそうよく自分自身とまた隣人たちにとりましても理解されるようになるのであります。」(上同、p34)
日本も、同じような体験をしている。ゆえに、日本における「独裁制を、戦争を、不法国家を」わかり易くとらえ直すことが必要である。色々語られているが、膨大であったり、わかりにくかったりして、伝承されているか心許ないからだ。これからの一つの課題である。
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