<新世紀の希望、または「歴史意識」について>には、「おそらく日本国の幸福な未来も、いきなり世界平和ではなく、日中韓の友好関係の足元から始めるほかない。それこそが21世紀の課題であり、長い努力の過程である」(強調は引用者による)とあった。そのためにも、ドイツの例を示しながら、「過去の克服」に全力を挙げる必要があると、解説してあった。小論ながら、まことに説得力のある内容だった。
それで、すっかり加藤周一さんの遺してくれた思想に興味を持つようになって、彼の思想を学びたくなってしまった。索引を調べたら興味のあるタイトルが多くて嬉しくなってしまったのだ。でも、それらをすぐに読み始めるのではなく、なんでそれらに興味を抱いたか、つまり、<興味の正体>と、<そこから何を学びたいか>を考えてから読み始めたいと思った。それにしても、日本を取り巻く環境の悪化が心配される今だからこそ、「二一世紀の日本の希望は、二〇世紀の過ちを改めることから生じるだろう」という言葉を噛み締めたいものである。
二〇世紀に日本国は、二つの過ちを犯した。その前半には、軍国日本が朝鮮半島を植民地化し、中国を侵略して、自滅した。後半には、経済大国日本が、朝鮮、韓国とも、中国とも、確かな信頼関係を構築することに失敗した。前者は武力による過ちであり、後者はカネもうけに専心した過ちである。古語にも「過則勿憚改」(論語:過ちがあったのなら、それを改めることをためらってはいけない)という。二一世紀の日本の希望は、二〇世紀の過ちを改めることから生じるだろう。それが「歴史意識」の問題である。
歴史は過去から未来へ向かって流れる。そこには持続と変化がある。何が変わらず、何が変わったのか。周辺のアジア諸国に対する軍国日本の態度と、その価値観は、敗戦後半世紀の間に、根本的に変わったろうか。もし変わったとすれば、未来の日本が同じ過ちをくり返すことはなさそうである。変わらなかったとすれば、同じ過ちをくり返すだろう可能性を排除できない。すなわち現在の日本社会が過去をどう見ているかによって、外国が ―― 殊に大きな被害を受けたことのある中国や朝鮮半島の人々が、未来の日本を信頼できるかどうかは決まるのである。(<新世紀の希望、または「歴史意識」について>『加藤周一自選集・10巻』、p95)
0 件のコメント:
コメントを投稿