2022年4月27日水曜日

「古い皮袋」に新しい酒は入らない

 高橋哲哉著<「戦後」を超えるには「戦後」の根底を問わねばならない>『「戦後」とは何だったのか』(季刊『前夜』編集委員会編 、2005年)に、「9条は1条とセット」という項目があった。「 9条自体が実は1条を残したことによって蝕まれてきた、 空浄化されてきたという面」(p70)がある。「天皇制が残ることによって戦前の権力構造が温存され、復権され、それによってこの種の人々が戦後日本の権力を担ってきた」(p 71)というのだ。
 なるほど、そうかも知れない。そう納得できるニュースが飛び込んできた。ウクライナ外務省が「4月上旬、公式ツイッターに投稿した動画で、ヒトラーやムソリーニと昭和天皇を並び立てたことに関し自民党議員が怒り出した。25日、官房副長官・磯崎仁彦は『ヒトラーとムソリーニと昭和天皇を同列に扱うということは全く不適切で極めて遺憾。(ウクライナ政府に)当該写真が不適切であり直ちに削除するように申し入れた』」(2022年4月27日、日刊スポーツコラム「政界地獄耳・提案できない野党で緊張ない国会」)というのだ。「日独伊三国同盟はまぎれもない事実で、その3カ国の元首という認識だったのではないか」と解説していたが、それにしても、異常な反応だ。
 官房副長官・磯崎仁彦は1957年生まれの65歳だ。戦前生まれの高齢者なら、天皇制に愛着のようなものを抱いていても不思議ではない。しかし、65歳という若さで、こうした反応をするということは、磯崎仁彦個人の反応というよりは、自民党内に伝統的に受け継がれてきた思想性というものがあって、そうした思想性が言わせたものなのかもしれない。高橋哲哉氏の論考を読むと、自民党内で支配的な「前近代性」が浮き彫りになってくる。
 最近、新約聖書に「新しいぶどう酒を古い皮袋に入れはしない。もしそんなことをしたら、その皮袋は張り裂け、酒は流れているし、皮袋も無駄になる。だから、新しいぶどう酒は新しい皮袋に入れるべきである」(マタイによる福音書九章)という言葉があることを知った。この言葉を引用していた『いかに生きるか』(森有正著、講談社現代新書)では、「古い皮袋」のことを「 私たち日本の古い社会、古い習慣、古い考え方」(p 127)と説明していた。天皇制という「古い皮袋」を抱えていて、それを問題にしない限り、新しい思想は、確かに育たないのかもしれない。

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