小林節教授と言えば、護憲の憲法学者として有名だが、彼さえ、軍事力を評価し始めた。「戦争は愚かな政治が起こすものであろう。だから、平和主義者は、軍事力を敵視するのではなく、軍事力を誤用しかねない政治を諫め続けるべき」「<共産党・志位委員長の講演に思う「理想」を持つ自由と「現実」の責任>『日刊ゲンダイ』、2022/04/26」というのだ。続けて、「他国の愚かな政治がわが国に対する侵略を試みた場合に、わが国の軍事力(自衛隊)と価値観を共有する他国からの支援こそが日本国民の自由と民主主義を守ってくれるという事実を、今回、ロシアのウクライナ侵攻が分かりやすく教えてくれた」という。果たしてそうだろうか。
この議論で注目したいところは、「他国の愚かな政治がわが国に対する侵略を試みた場合に」という前提である。この前提は「軍事力で攻められたらどうする」というこれまでの議論と何ら変わっていない。ロシアが、これまでの議論の見本を示し、いっそう「軍事力で攻められたら」という前提に重みを増してきたに過ぎない。しかし、そうした議論は一面的であり、短絡しすぎる。なぜなら、例えばウクライナ側に、侵略を招いてしまった要素はなかったのか、近隣諸国と友好関係を築くという選択肢はなかったのか、といった議論があっても良いのではないだろうか。
つまり、「軍事力で攻められた」という前提条件でなく、「戦争を起こしてしまっては遅い」という前提条件に立つことだってできる。「政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し」(「日本国憲法前文」より)た国民として、あらゆる知恵を発揮して、戦争の芽を摘んでいけばいいのだ。ロシアのウクライナ侵略戦争から学ぶべきは、やはり、軍事力は、「人命ばかりでなく文明も経済も破壊してしまう」ということであり、だからこそ、軍事力に頼らなくてもいい社会秩序というものを模索し、築いていかなければならない、ということであろう。間違っても、「軍事力の再評価」などしてはならない。
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