2022年4月24日日曜日

9条の精神を先取りした堺利彦

 堺利彦著「孟子を読む」を読んだ。読みにくいところ、よくわからないところもあったが、9条の精神を先取りしていると思われるところを発見した。「その過大なる軍備を徹し、その攻伐の念を捨て、真に列国の国民に親しみ、おのずから東洋の人心を得るにあらずんば、いかにして東洋の盟主たるをえんや」(『堺利彦全集・1』、法律文化社、1971年、p 245)という部分だ。
「東洋の盟主たるをえんや」という部分に違和感を抱きそうだが、この部分は、日本国憲法前文の「われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ」といった意味にとっていいのではないかと思う。「真に東洋の盟主たらんと欲せば、孟子のいわゆるそのもとに返りて仁政を施すの外なきなり」とも書いていることでも分かる。
 堺利彦は、当時の仁義に欠ける軍拡路線を批判して、仁政を求めていたのである。堺利彦が求めた、この仁政こそ、日本国憲法に引き継がれた精神ではないだろうか。堺利彦は「ただ恐喝的軍備拡張と詐欺的外交政略との外なき今日、吾人は書斎の中においてひとり孟子を読み、この古書より発する燦然たる光明に打たれて、ひそかに安心と希望とを得たるの感あり」(上同、p243)といい、「春秋戦国の時、孟子は利を見ずして仁義を説けり」(上同、p243)と言って、仁義を忘れて「利」に走った当時の「恐喝的軍備拡張と詐欺的外交政略」を嘆いていたのである。
 残念ながら、二十一世紀になっても、仁義を忘れて「利」ばかりを追い求めている姿は変わらなかった。その究極の結果が戦争であることは、ロシアが日々証明してくれている。それだけに、堺利彦の先見性が光って見える。民主主義とヒューマニズムは一体のものであったはずだが、いつ頃からか民主主義は、ヒューマニズムをどこかへ置忘れてしまったのだろうか。

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