2021年7月17日土曜日

人間はみずからが造るもの

 実存主義という言葉は知っていても、どんなものかは皆目わからなかった。興味さえわかなかった。しかし、「実存主義とはヒューマニズムである」というサルトルの論文を知って、ヒューマニズムに惹かれて読んでみることにした。そして、実存主義の第一原理としての「実存主義的人間觀」に共感をもった。もともと、実存主義と言わずとも、こうした「人間は自らを創っていく」存在だ、という考えはある。自己実現という言葉に端的に現れているところのものである。では、第二原理とは、どんなものだろうか。今後の展開が楽しみになってきた。
 それにしても、下線で示したように、同じことを手を替え品を替えて表現しているのには驚いた。こういう書き方もあるのか、という新しい発見だった。
 実存が本質に先立つとは、この場合なにを意味するのか。それは、人間はまず先に実存し、世界内で出会われ、世界内に不意に姿をあらわし、そのあとで定義されるものだということを意味するのである。
 実存主義の考える人間が定義不可能であるのは、人間は最初は何者でもないからである。人間は後になってはじめて人間になるのであり、人間はみずからが造ったところのものになるのである。このように、人間の本性は存在しない。その本性を考える神が存在しないからである。
 人間は、みずからそう考えるところのものであるのみならず、みずから望むところのもの
あり、実存して後にみずから考えるところのもの、実存への飛躍の後にみずから望むところのもの、であるにすぎない。人間はみずから造るところのもの以外の何者でもない。以上が実存主義の第一原理なのである。これがまたいわゆる主体性であり、まさしくそのような名で世人がわれわれに非難しているものなのである。人間はみずからが造るもの(「実存主義とはヒューマニズムである」『実存主義とは何か』、伊吹武彦訳 、人文書院、1961年 、p18〜19)

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