2020年9月7日月曜日

「なんたるみじめな有様」だ

 「砂煙り」は、『基地の子 この事実をどう考えたらいいのか』(1953年)に掲載されたものだが、「私達をみじめな目にあわせ、堕落させかけている」という瑞々しい感性がうらやましかった。
 あれから70年経っても、米軍は居残り、それどころか自衛隊と歩調を合わせ、度重なる共同演習もこなしている。屈辱的ともいえる地位協定の実態からも想像できるように、自衛隊とは名ばかりで、完全に米軍の傘下に成り下がっていると言っても過言ではない。
 子供の目で見た感性は鋭く、そして本質を見抜いていた。高額な軍用機等々を、言われるままに買い続ける姿は、惨めだし、堕落の極みと言って良い。なんの疑いもなしに「ハローッ」とおねだりした子供たちと、同じではないか。情けない。
 しかし、日本人の、どれだけの人たちが、「惨めな目に合っている」と思っているかが問題だ。残念ながら、慣らされてきて、子供たちのような感性は失われているのではないだろうか。
 遊佐君が現代の私たちにも突きつけてくれた「私達をみじめな目にあわせ、堕落させかけている原因はなんであろう」という問いは、すぐには答えられない。宿題にしたい。

砂煙り
佐世保市愛宕中学校一年 遊佐智郎

 私は、じりじりと焼けるよらな日をあびて、水気のないアスファルトの道路の上を、歩いていた。と、その時、前方からかわき切った砂ぼこりをモウモウとあげて、米軍専用バスと西肥バスが朝鮮戦線に向かうのであろう、兵を満さいして走って来るのである。
 と、そのへんで遊んでいたのであろう、小さい子供から小学校の五、六年生くらいの者がとび出してきて、自動車が目の前にくるたぴに「ハローッ」としきりに呼びかけて、チュウインガムなどを投げてもらおうとしているのである。これは去年の夏休みのある日、お使い帰りに目げきしたのでした。
 私もそのとき、心を引かれないではなかったが、私の良心が許さなかった。
 あれから、はや一年またたくまに過ぎ、もう私は中学生だ。そして、あの時のことを反省して見て、思わずハッとした。「これじゃいけない。なんたるみじめな有様であろう。」あの時いってた、「ハロー」という言葉の意味を、おそらく知らなかったろう。いや、知らなくてもよい。が、ただそう言いさえすれば、お菓子でももらえるんだという、浅はかな考えに気をとられている、あの子供達が、かわいそうだ。いいえ私達もです。私達の心にも、そういう欲心が頭をもたげているんだと思います。
 いったい、このように私達をみじめな目にあわせ、堕落させかけている原因はなんであろう。それだ。それを私達は、よく考えなくてはならないと思います。(p66)

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